モデル・タレントとして活躍する前田智子さんは2021年夏、34歳のときに事実婚の夫とともに受精卵を凍結します。しかし翌年、事実婚を解消したため、受精卵は破棄することとなりました。その後、前田さんはあることを決断します。
全2回のインタビューの後編は、卵子凍結について聞きます。
“何もせず、後悔することだけは避けたかった”と、卵子凍結にトライ
新しい命の誕生に欠かせない「卵子」。 卵子は女性の年齢とともに年を重ねる特殊な細胞です。加齢によって数が減り、機能がしだいに低下。妊娠のしやすさにも大きく影響します。
そんな中、注目を集めているのが将来の妊娠・出産に備えて卵子を冷凍保存する「卵子凍結」です。
前田さんが、今産めないならば、なるべく若い時点での卵子・受精卵を凍結すれば、妊娠・出産を先延ばしにできる(※1)と知ったのは、33歳のときでした。
「受精卵凍結というものがあると知ったときは、ぱぁーっと未来が開けたような気がしたんです。でも、残念ながらパートナーとの事実婚を解消することになり、凍結受精卵は破棄せざるをえなくなった(※2)。この経験はあまりにもつらい出来事でした。“振り出しに戻る”というよりも、マイナス地点におちた私が、再びスタート地点に自分の足で立ち上がるため、転んでも起き上がる杖となってくれたのが、卵子凍結でした。
一度は現実に引き寄せた“親になる”という夢が、遠ざかってしまった。でも、何も行動しないまま後悔する未来は避けたかったんです」(前田さん)
2022年10月、事実婚解消の書類にサインすると早速、卵子凍結についてリサーチを始めたそう。周囲からはどのような反応があったのでしょうか。
「反対されることはありませんでしたが、お金がかかることですし(※3)、『もう少し待っては』とは、言われました。
当時『東京都が卵子凍結に助成金を出すらしい』という報道が流れ始めたころだったんです。(実際に2023年10月からスタート)
でも、クリニックの説明会で改めて、卵子の加齢と妊娠の関係性をデータで目にし、‟もし、卵子凍結した直後に新しい出会いがあって婚姻関係になったとしても、一番安心な選択は、1日でも若い卵子を凍結することだ”という結論に至りました。
早く相手を見つけなきゃ…とあせる思いはあるけれど、無理に気持ちを向けることもできず、八方ふさがりだったので、やっぱり卵子凍結をしよう!と決めたときは、気持ちがとても楽になりました」(前田さん)
事実婚解消の3カ月後、前田さんは卵子を凍結します。36歳のときでした。
※1/現在の医療では、卵子から受精卵(胚盤胞といわれる胚)まで凍結が可能。融解後の生存率は約95%以上。凍結胚での妊娠でも、赤ちゃんの先天異常のリスクが高まることはないとされています。
※2/日本産科婦人科学会の見解では、「受精胚の凍結保存期間は、被実施者が夫婦として継続している期間である」ことが明記されています。(ヒト受精胚および卵子の凍結保存と移植に関する見解より)
※3/卵子凍結は2パターンあり、がん治療などで卵巣機能が低下する前に行われるのが医学的適応、それ以外の女性が実施するものは社会的適応と言われます。後者は、全額自己負担となります。
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卵子凍結というセンシティブな内容をブログやYouTubeで公開する理由
本当は、卵子凍結はパートナーとの離別直後の年内を目指していたそう。急ぎすぎる行動に、家族や友人たちは心配したろうなと推測します。実際、前田さんは自分の性格をこう表現していました。
「正義感が強くてまっすぐな性格です。まっすぐすぎて、同じところに穴を開けるまで何度も何度もぶつかるから、友人たちからは『もっとうまくやりなよ』と、よく言われます(笑)」(前田さん)
加えて、前田さんは卵子凍結に挑んだ経緯や実体験をブログやYouTubeで発信。それがきっかけで書籍の取材も受け、今回の「たまひよONLINE」のインタビューにもつながりました。
きわめてセンシティブな内容であり、プライベートなことを公開することに、今でも家族や友人たちからは心配する声が届くそう。でも前田さんには、発信することに対して、彼女なりの思いがありました。
「女性の生殖機能に関してはタイムリミットが存在しています。
出産年齢を逆算すると、そろそろ考えなければいけない、産みたいけれど今は出会いがない、などの状況にある女性たちに、卵子凍結という第3の選択肢があること。今、結論が出せないことを先延ばしにすること、白黒つけないことは悪いことではないことを、知ってほしいと思っています。
健康的な女性の受精卵凍結・卵子凍結に対しては、いろいろな立場からのいろいろな 意見があります。‟生きるか死ぬか”の治療ではないけれど、卵子のことを考えれば、私の場合は‟今”しなければいけない施術だったのだ、ということを理解してもらえるのか、どう伝えたらいいか、すごく悩みました。
でも、私は将来‟あのとき、卵子凍結をしておけばよかった”と、後悔はしたくなかった。
なので当事者だからこそできる、リアルな情報を発信することにしたんです」(前田さん)
その言葉どおり、YouTubeでは前田さんのリアルな姿が映し出されています。
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採卵手術後、副作用の痛みでうめく姿もありのままに公開
YouTubeの動画は事前の診察風景から始まり、採卵(卵子を体から取り出すこと)当日の様子まで、約10分にわたります。
生理が予定より1週間早まったので仕事のスケジュールを組みなおしたり、排卵誘発剤の自己注射と内服が毎日あり、その副作用の眠けや倦怠感がありながらも、無事に採卵の日を迎えます。
静脈麻酔下で行われた採卵手術までは、スムーズでした。
「問題は目が覚めたあとでした。採卵手術は午前中で、麻酔から目が覚めて診察後は帰宅してOKなのですが、声を出すことすらままならない腹痛があって。だれかに内臓をつかまれて絞られているような、容赦のない鈍痛で、1㎜もおなかの筋肉を動かしたくない状態でした。
採卵当日は痛み止めもなかなか効かず、横になって安静にさせてもらいました。クリニックを出て帰宅したのは夕方。採卵を終えた下腹部は、ぽっこりとふくれていました」(前田さん)
前田さんは2年前の受精卵凍結のときも採卵手術を経験していますが、前回もそうだったのでしょうか。
「複数個の卵子を取り出すためには、注射剤や飲み薬を使って事前に卵巣刺激を行うのですが、受精卵凍結(体外受精)のときは“中刺激法”と呼ばれる方法でした。採卵後、痛み止めを飲んだら30分後には楽になり、『おなか、すいた!』と、レストランでハンバーグをがっつり食べて帰る元気さでした。
一方、卵子凍結では、受精卵凍結よりも妊娠率が下がる(卵子は質の見極めが難しい)とのことで、1人授かるのに12.1個の卵子が必要とクリニックで説明を受けました。たくさん取るためにも“高刺激法”での卵巣刺激が必要だったんです。採卵後の合併症を防ぐため、薬の量を調整してもらってはいましたが、ある程度の副作用は覚悟の上…。でも、結果は想像以上でした。
そして、事実婚の夫が一緒だった前回と違って今回は1人。孤独に痛みに耐えるのもしんどいことでした」(前田さん)
この日、取れた卵子は35個。通常は10~15個ほどが目安とのことなので、35個は驚異的な数です。ただ、たくさん取れてラッキー、という単純な話ではないそうです。
「採卵手術って、卵巣に細い針を刺して卵子の入った卵胞液を吸引するんですよね。採卵の数が多いということは、それだけ何度も針を刺しているわけで、体への負担がそれ相応にある。
あと、私はもともと年齢に比べてAMH値(※3)が高かったんです。小さな卵胞がたくさんできる多嚢胞性卵巣(たのうほうせいらんそう)症候群の傾向があって、『採卵後に卵巣が腫れやすいかも(※4)』ということを先生から言われていました。
そのため採卵後、おなかが張る、全身がむくむ、吐きけがある、冷や汗が出るなどの不調が、次の生理が来るまで数週間、続きました」(前田さん)
※3/卵巣に残っている卵子の数を予測する指標
※4/卵巣過剰刺激症候群(OHSS)と呼ばれる症状。排卵誘発を行った際、卵巣がふくれ上がり、下腹部痛や張り、おなかや胸に水がたまるなどの症状が見られます。採卵後の合併症として起こりやすく、多嚢胞性卵胞症候群の場合は、重症化しやすいとされています。
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後悔はないけれど不安で心は揺れ動く、そんな現在進行形のライフストーリー
採取した卵子35個のうち、未成熟卵や異常卵をのぞいて凍結できたのは合計24個でした。
苦労して採取した卵子ですが、38歳の今、前田さんにパートナーはいません。前田さんは東京都の助成金制度実施の前に卵子凍結をしているので、約60万円の施術費用&保管費用はすべて自己負担です。卵子凍結に後悔はない、と言いつつも気持ちは日々、揺れ動くようです。
「昨年は家族が倒れて看病に忙しく、あっという間に1年が終わってしまいました。この先、いい出会いがあるかわかりませんし“凍結した卵子を使わないかもしれない”という恐怖は常にあります。もう子どもを産むのはあきらめて、思いきって海外に移住しようかな、なんて考える日もあります。
一方で『やるべきことはやった』という満足感もある。
私は人生でいちばんつらかったとき、卵子凍結をしたことで、もう一度、自分の足で立ち上がることができました。私にとっては“転ばぬ先のつえ、立ち上がるためのつえ”のような存在といえます。
でも、卵子凍結はこんなにいいものだ!と扇動する気はないんです。私がありのままの体験をつづることで、同じように、女性の生き方について悩みを抱えているだれかの目にとまればいい。自分の意思で未来を決めるための一助になれたらいいなと思います」(前田さん)
お話・写真提供/前田智子さん 取材・文/川口美彩子、たまひよONLINE編集部
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「生きるか死ぬかではないけれど、来月ではなく”今”じゃなきゃいけないことをわかってもらえるだろうか。伝わるだろうかと悩みました」
「卵子凍結したことによって、凍結卵を使わない未来があるかも…など、悩みも生まれたけれど、時間的な猶予を得たことによる安心感も大きいです」
取材を通して、前田さんの“自分で動かぬまま、恨み言を言う未来は避けたかった”という前向きな姿勢を裏付ける言葉の数々がとても印象的でした。
前田さんの卵子凍結のストーリーは、現在進行形で続いています。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
前田智子さん(まえだともこ)
PROFILE
東京都生まれ。高校卒業後はニューヨークの大学でコンテンポラリーダンス・振り付けを学び、帰国後はモデルとして活動。 2016年J-WAVEで ラジオのナビゲーターのキャリアをスタート。ナレーションなどのほか、身体にまつわる多方面の知識をいかし、ピラティスインストラクター・アドバイザーとしても活動。WWFジャパンの顧問を務め、社会貢献活動にも従事。現在は、東京と福岡の2拠点暮らし。
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●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年7月の情報で、現在と異なる場合があります。
●受精卵・卵子凍結や生殖医療についての記載は『妊活たまごクラブ_赤ちゃんが欲しくなったら最初に読む本』『妊活たまごクラブ_不妊治療クリニック受診ガイド』を参考にしています。
『-196℃の願い 卵子凍結を選んだ女性たち』
-196℃。これは現在、生殖医療で用いられている‟凍結保存”をする際の温度だ。いつかは産みたいが、今は産めない。でもタイムリミットは確実に存在する。そんな中『今は産めないお守り』を選択した8人の女性たち。年齢やキャリア、生い立ちも違う彼女たちが、なぜ「卵子凍結」を選択したのか? 元週刊朝日の記者が描くヒューマン・ストーリー。松岡かすみ著/1980円(朝日新聞出版)
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