仙台市に住む2児の母、神山春花さんの長男・創佑(そうすけ)くん(4歳)は出生後にダウン症候群(以下、ダウン症)があることがわかりました。育休中に「障害のある子を育てる母親は仕事を辞める」と聞いた春花さんは、ママ友の大原悠美さんとともに、障害児を育てる母親が働ける環境作りを求め、任意団体Challenged Handsを立ち上げました。春花さんに、仕事復帰のために行った活動や、創佑くんの成長などについて聞きました。全2回のインタビューの後編です。
ダウン症の長男は、発達支援センターに通うことに
2021年2月に生まれた創佑くんは、生後2週間でダウン症候群と診断されました。生後6カ月のときに指定難病のウエスト症候群を発症してしまいましたが、1カ月間入院しての注射治療を受け、症状が治まり退院。その入院中に、春花さんは創佑くんの初期療育先として、仙台市内の発達相談支援センターを紹介されました。
「退院後すぐに面談を受け、しばらくして初期療育に通い始めました。2週間に1回、親子で手遊び歌を歌ったり、触れ合い遊びをして感覚刺激をうながすような内容です。そこで障害のある子を育てるお母さんたちと知り合いになれたことは、とても心強く感じました」(春花さん)
出産前は13年間アパレル企業で販売員の仕事をしていた春花さん。もともとは産休育休を取得して、長男が1歳を過ぎた4月に保育園へ入園させ、仕事に復帰して短時間勤務する予定でいました。ところが、支援センターで知り合った母親たちから意外な事実を耳にします。
「お母さんたちから『障害のある子を産んだ母親はみんな仕事を辞めるって』と聞いたんです。復職するために役所に相談に行くと、退職をすすめられることが多いというのです。母親たちは『自分が障害のある子に産んでしまったからしかたがないんだ』と罪悪感をもってしまったり『自分が仕事をしたいなんて言っていいのかな』と引け目を感じてしまうようでした。
私は『そんなこと、あってはならないことだ』と強く思いました。共働きが一般的な時代に、子どもの障害を理由に母親が働きたくても働けないような社会のしくみが当たり前とされているなんて、そんなのおかしいでしょう」(春花さん)
家庭の経済状況から見ても、春花さんはどうしても子どもを保育園に預け復職しなければなりませんでした。
「当時はコロナ禍で、夫が経営していた飲食店は厳しい経営状況でした。夫は日中は別の仕事をし、夜は店を開き、と働きづくめでなんとか食いつないでいる状況。家のローンもあるし、私が育休後に復帰して共働きをしないと生活していくことができません」(春花さん)
春花さんが役所の窓口に相談すると『3歳以上なら少し受け入れ枠が増えるから、それまで待ったら』と言われました。春花さんが勤めていた会社はそこまでの育休延長を申請するのが難しい状況でした。「失業」という言葉が見えてきたと言います。
「どうしよう・・・と考えていたところ、2人目の妊娠が判明したんです。そのため、長男の育休から続けて第2子の産休・育休を取れることに。長男が1歳10カ月のときに2人目の男の子を出産しました」(春花さん)
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障害をもつ人とその家族の「当たり前の願い」をかなえたい
二男が生まれて間もない2023年春、春花さんと2歳になった創佑くんはひとつめの初期療育とはまた違う児童発達支援センターに週5日通うようになりました。そこで、春花さんはママ友の大原さんも仕事復帰への思いを強くしていると知ります。
「超低出生体重児を育てる大原さんが、職場復帰を求めて市にメールで窮状を訴えたけれど、定型文を貼り付けたような返信しかもらえなかったと聞きました。百貨店でキャリアを積み上げてきた彼女の“絶対に仕事に戻りたい”という思いを聞き、私たちは『個人で訴えても聞いてもらえないなら、当事者団体をつくって市に陳情しよう』と決意したのです」(春花さん)
春花さんは大原さんとともに、2023年6月、任意団体“Challenged Hands”を立ち上げます。
「Challenged Hands(チャレンジド ハンズ)のChallengedは障害を持つ人を表す新しいワードでもあり、私たちの『行政を変える』という大きなチャレンジを意味します。そして、1人だけでの行動では変えられないことも、みんなで手(Hands)を取り合えば可能になる、そんな意味を込めました」(春花さん)
6月に団体を立ち上げてから、メンバー集め、SNS開設、市会議員や県会議員との情報交換、障害児を育てる親たちへのアンケート調査など、寝る間も惜しんで準備をし、約3カ月間かけて要望書を作成しました。
「必死でした。長男が3歳の春までに保育園に入れなければ、仕事を失ってしまいます。どうにか長男の入園に間に合わせようと、年子の育児、長男の療育と平行して団体の活動をしました。どんな障害児の親であっても働けるように、(1)保育園のプラス支援枠拡充、(2)保育園入園のために市が行う審議会の撤廃、(3)児発が療育に加え託児の役割を持った施設になる、(4)保育園と児発、または児発同時のかけもちを許可する、という4つを訴える内容の要望書を作りました。
プラス支援枠とは、保育園入園の審査の際、障害や心身の発達に遅れ等があるために集団生活の中で特別な支援が必要な子どもが利用できる枠のこと。障害のある子や発達に心配のある子は保育園に申請したあと審議会にかけられます。3歳で自立歩行できないなどの障害があると、集団保育は無理だと判断されてしまう状況でした」(春花さん)
“Challenged Hands”は同年9月に仙台市長に要望書を提出。すると市は、翌春から保育園に受け入れる対象を障害の重い子にまで広げることに。また、子ども1人または2人に対し1人の保育士を配置する手厚い加配も導入されました。
「審議会の撤廃まではかないませんでしたが、私の周囲では、これまで障害が重いからと保育園に入れなかった家庭のお子さんたちも保育園入園が決まりました。私の長男も内定通知をもらうことができました。団体で開設したSNSにも『仕事に復帰することをあきらめていたけれど希望がもてた』とたくさんのメッセージが届きました」(春花さん)
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保育園のお友だちとのかかわりでぐんと成長した長男
団体での活動と並行して、春花さんはダウン症のある創佑くんの保活も行っていました。
「市内の保育園に電話をかけダウン症を受け入れたことがあるかを聞き、10カ所くらい見学しに行きました。受け入れたことがあると言っていても、なかには障害のある子に対して偏見がある保育園も。実際に行ってみないとわからないものです。
見学した保育園のうち、ある園長先生が『私たちは障害のあるなし関係なく、1人1人に対してできることをやるだけです』と言ってくださいました。『創佑くんを見ていると、お母さんの今までの育児が見えるようですね』とも。その保育園の建物はとても年季が入っていましたが(笑)、先生方も明るかったため第1希望に。そして2023年冬に内定通知が届き、3歳の春からその保育園に通えることになりました」(春花さん)
2024年春から保育園に通い始めた創佑くん。保育園でのお友だちとのかかわりで、それまでよりぐんとできることが増えました。
「長男はまだあまりたくさんはおしゃべりできず、単語を少し話すくらいですが、お友だちがたくさんできました。仲よしのお友だちが長男に『一緒に遊ぼう』と声をかけてくれると、そこから『私も〜』『一緒に遊びた〜い』とほかの子も集まってくれるようです。保育園の送迎や行事の際、楽しそうにしている長男を見るととても幸せな気持ちになります」(春花さん)
保育園に慣れたころから、創佑くんはプールでの歩行療育のある発達支援センターに通い始めました。
「Challenged Handsのメンバーにプールの療育があるセンターを教えてもらいました。プールの浮力を利用して歩く練習をするんです。プールで歩けたことが長男の自信になったようで、それまで家ではおしりでずりばいのように移動していたのが、少しずつ自分で立って歩けるようになりました。
さらに保育園でも歩けるようになってからは、お友だちに応援されて初めて階段を上がれるようにもなりました。保育園に通い始める前は、1人で歩くことが想像できないくらいだったのに。大きな成長を感じます」(春花さん)
春花さんは、創佑くんの成長・発達に保育園のお友だちの影響がとても大きいと感じています。
「お友だちがいろいろ話しかけてくれるからコミュニケーションも取れるようになりました。それに、先生の指示で動くお友だちの様子を見て、今は何をする時間なのかが長男にも理解できるみたいです。お友だちのまねをして、給食後の後片づけなどもできるようになってきました」(春花さん)
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育児と仕事、両方あるから心の平穏が保てる
2024年春に創佑くんが保育園に入園できることとなり、春花さんは5月からアパレルの仕事に復帰しました。
「仕事に戻るに当たって、ダウン症のある長男は免疫力が弱く体調を崩しやすいため休みをもらう日が多くなることや、長男の通院や支援センターの送迎に合わせて休みを希望させてほしいことなど、店舗のメンバーに話をしました。みなさん『まったく問題ないよ。できる限りの協力をします』と温かく迎え入れてくれました。本当にありがたいです」(春花さん)
現在は9時半から、途中1時間休憩をはさみ16時半までの勤務状態。店舗で接客をするほか、新人教育も担当しています。春花さんにとって、仕事は大切な時間です。
「大学卒業後から、大好きだった洋服にかかわる仕事を13年間続けてきました。お客さまに喜んでいただけたときや、後輩が成長する姿にやりがいを感じます。育児と仕事、お互いに息抜きになっていると思います。どっちもの生活があるからこそ、心の平穏が保てています」(春花さん)
創佑くんは2年後に小学校入学を迎えますが、その後の働き方についてはまだまだ課題があると感じています。
「地域よっては通園通学の移動支援サービスがある自治体もありますが、仙台市では通園通学には移動支援を利用できません。1人で通学できない子のために、親が小学校の送迎や放課後デイサービスの送迎をするとなると、勤務できる時間が短くなってしまいます。さらに長期休み期間は放課後デイサービスなどがお休みになり、預け先がなくなるケースも。障害のある子を育てる親にとって、仕事と育児の両立はまるで綱渡りのような状態です。今後は、まず親の就労を支える視点で、市に移動支援サービスを要望していくことが必要と考えています。
さらに子どもの成長に合わせて見えてきた困難や、まわりの親から聞く課題に対して、市や県に状況確認を行いながら必要に応じて親の要望を伝えていきたいと思っています。Challenged Handsの活動を通して、孤独な親を減らし、綱渡りの人生を安定したものに変えられたらと願っています」(春花さん)
お話・写真提供/神山春花さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
春花さんは夫とお互いの仕事のスケジュールを確認しながら、協力して仕事と育児を両立しています。ダウン症のある子は年齢が大きくなっても精神年齢が幼いため、中学生以降に1人で留守番をさせられないことも、仕事を続ける上での課題に感じているのだそう。春花さんは「下の子が小学校6年生までは時短勤務ができるけれど、その後の働き方がどうなるか不安」と話しています。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年4月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
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