イギリスの病院で外科医として働いていたブルーメンタル由夏理さん。ひとり息子のくのくん(6歳)は、1歳6カ月になる前に、日本に50人ほどしかいないとされる希少疾患、アレキサンダー病と診断されました。
由夏理さんと夫は、ひたすらアレキサンダー病について調べ、世界中の医師にも問い合わせました。その結果、この病気の治療薬がないことを知った由夏理さんは、日本に帰国してアレキサンダー病の研究に携わり、さらに薬を開発するためにアステラス製薬に就職しました。
全3回のインタビューの3回目は、くのくんの病気がわかってから現在に至るまでについてです。
診られる医師が近くにいない・・・。文献を読みあさり、世界中にメールを送る
2020年6月、くのくんはアレキサンダー病と確定診断されます。1歳6カ月になる少し前のことでした。
アレキサンダー病は、1949年にアレキサンダーという名前の医師が初めて症例を報告した疾患。主に乳児期に発症し、けいれん発作、頭囲拡大、精神運動発達の遅れの3つが主な症状となる「大脳優位型」、学童期あるいは成人期以降に発症し、 運動機能障害や立ちくらみ、排尿困難などが主な症状となる「延髄・脊髄優位型」、両型の特徴をみとめる「中間型」に分類できるとされます。
「一応、3つに分類されてはいるのですが、私の知る限りでは、ほとんどの患者さんに3つの型の特徴が入り交じっているように思われます。
息子は『大脳優位型』とされているものの、延髄・脊髄にも症状があります。また、けいれん発作以外に発達遅延・退行、発語障害、筋力低下、平衡感覚異常、自律神経失調症、継続的な嘔吐、食欲不振と低体重、シャント圧の変化による頭痛などが見られます」(由夏理さん)
くのくんをアレキサンダー病と診断した医師は、この病気の患者を診た経験はなかったそうです。
「息子の病名が判明したのは、ドイツの病院でした。診断されたときの担当医に治療経験がないだけでなく、私たちが通える範囲の病院には、アレキサンダー病の患者を十分に診られる医師はいないというのです。見放されたような気持ちになり、とてつもない絶望感を味わいました。
息子を救うには自分たちで何とかするしかない!夫とともにそう決意し、アレキサンダー病関連の文献を読みあさりました。そして論文の筆頭筆者や、関連する研究を行っている臨床医、研究機関などを調べ、かたっぱしからメールを送りました。世界中の医師・研究者にです。
といっても、希少疾患のアレキサンダー病の研究している医師は、世界中探してもごくわずか。メールを送ったのは全部で40人くらいだったと思います。しかも、連絡をした時点でアレキサンダー病の研究や治療を続けていた方は、そのうち3分の1程度。3分の2の方からは、「もうアレキサンダー病の患者さんの診察は行っていない」「研究領域を変えた」といった返信がありました。
みなさんていねいに答えてくださり、励ましてもいただき、とてもありがたかったです。でも、治療への希望が見いだせるようなお返事は、ほとんどありませんでした」(由夏理さん)
続きを読む
運命的な出会いにより息子の主治医が見つかり、研究の道もひらける
由夏理さんがメールを送った医師の中に、京都府立医科大学大学院神経内科学でアレキサンダー病の研究を行っている吉田誠克先生もいました。
「吉田先生はアレキサンダー病の権威の医師で、メールをお送りしたとき、とても親身になって返信をしてくださいました。吉田先生に一度息子を診てほしくて、取るものも取らず一時帰国したのは2021年7月。息子が2歳6カ月のときのことでした。
『アレキサンダー病は文献などでは結構重篤な感じですが、実は私が診ている患者さんはもう少し状態がいいですよ。くのくんご本人にとっても、ご家族にとっても、ストレスがいちばんよくないので、あまり根を詰めずに“今”を大切に』と吉田先生から言っていただき、気持ちがすごく楽になりました。
当時はコロナ禍の真っ最中で、これを逃したら日本に戻れなくなってしまうかもしれない。息子が元気なうちに、私の日本の家族にも会わせたい。そんな切なる願いもあっての帰国でした」(由夏理さん)
現在のくのくんの主治医は、自治医大 とちぎこども医療センター センター長の小坂仁先生です。「小坂先生との出会いにも、運命のようなものを感じた」と由夏理さんは言います。
「私はかつて動脈管開存症(どうみゃくかんかいぞんしょう)という心臓の病気を患っていました。私の心臓病を発見してくださった先生は、当時は循環器が専門でしたが、現在は小児科医。息子に会ってくださり、ご自身はアレキサンダー病の患者を診察したことはないけれど、アレキサンダー病に詳しい小坂先生と面識があるとのことで、つないでくださったんです。
さらに、小坂先生が「白質形成不全疾患研究班」で一緒に研究されていた井上治久先生を紹介してくださいました。井上先生は京都大学iPS細胞研究所でアレキサンダー病の研究をされていると知り、私も研究に加わりたい!と研究所入所の受験を決意。晴れて研究生になることができました。今では私もこの白質形成不全疾患研究班の班員です。たくさんの先生方の善意でここまでこぎつけたと、感謝の気持ちでいっぱいです」(由夏理さん)
由夏理さんがiPS細胞研究所へ入所することが決まったのは、一時帰国をした2カ月後。このとき、家族3人で日本で暮らすことを決めたそうです。
「そのときは息子にとって何がベストなのか、それだけを考えて夫婦で必死に行動しました。夫はドイツの家の引っ越しや退職の準備などがあるので、一度ドイツへ戻りました。私と息子はそのまま日本に残り、私の実家がある栃木での生活を始めました。コロナ禍のことだったので、夫と再び日本で会えるのかドキドキしていたことも事実です。
実は研究所入所とほぼ同時に、アステラス製薬にも入社したんです。製薬会社の社員として新薬を創るための仕事をしながら、研究所でアレキサンダー病を解明する研究も行う。これが日本での私の仕事であり日常となりました」(由夏理さん)
くのくんの育児・介護、仕事、研究と、由夏理さんはとても多忙な日々を送っています。
「自分で決めたことではありますが、本当にすべてをこなせるのか不安でした。 仕事も研究も現在ほぼリモートワークをさせてもらっていますが、家事・育児を1人ですべてをこなすのはやはり無理です。夫、母、それに3歳で入園した幼稚園にも頼りつつ、何とか時間をやりくりしています。
機械にやってもらえる家事はテクノロジーの恩恵にあずかり、手抜きできるところは省略し、自分自身にも周囲にも完璧を求めない。これを日々のモットーにしています」(由夏理さん)
続きを読む
頭の中にたま ったタンパク質の影響で何度も吐き、どんどんやせていく息子
くのくんの病気を治す薬を見つけるために、由夏理さんは必死になって研究を続けています。でも、有効な薬はまだなく、くのくんはさまざまな症状に苦しめられています。
「息子の頭の中にタンパク質のかたまりができてしまい、それが嘔吐反射を刺激するため、四六時中吐いていた時期がありました。日本で暮らすことを決めた2歳6カ月ごろから、3歳6カ月ごろまでがピークでした。
ひどいときは毎朝毎晩吐いていました。睡眠中も吐きけで目を覚ますほどです。解決する手段がないので、私たち夫婦は途方に暮れるばかり。息子の体重はみるみる落ちていきました。3歳になったとき15㎏あった体重が、半年で13㎏に。2歳のときと同じ体重です。
食事以外に頻繁に栄養剤やおやつを与え、何とかエネルギーを補給できるように工夫はしました。でも、吐きけが収まったあとも、体重がなかなか増えなくなってしまって・・・。息子は今6歳ですが、体重は12㎏台です」(由夏理さん)
できていたことができなくなる「退行」も見られるそうです。
「1歳6カ月ごろまではひとり歩き以外の発達はほぼ順調。心配だったひとり歩きも、2歳直前にできるようになりました。嘔吐の症状が始まるまでは体力もあり、喜んで歩いたり運動したりしていたんです。
でも嘔吐の時期や体調不良のとき、あるいは検査で麻酔薬を使ったあとなどは、ひとり歩きができなくなり、おすわりもままならなくなったりします。
また、スプーン・フォークを使って自分で食事ができていたのに、今はやりたがりません。食べると吐きけが起こるらしく、食事に興味が持てなくなってしまったようです。
アレキサンダー病で起きる退行は一過性のものだったり、できたりできなかったりを繰り返す場合もあったりするのですが、スピードの差はあれ、生命維持も含めた『自分でできること』ができなくなっていくと言われています。息子にそんな日が来ることを考えると、恐ろしくて悲しくて、どうしたらいいのかわからなくなります」(由夏理さん)
続きを読む
遺伝子疾患は一定の割合で起こる病気。社会全体で支援すべき課題
由夏理さん夫妻は2021年に日本に帰国する前に、ドイツで希少疾患支援のためのNPO「K.U.N.O.」を設立しています。
「活動内容はアレキサンダー病をはじめとする希少疾患の情報共有、啓発活動、患者さん・ご家族へのサポート、募金活動と関連研究施設への資金援助など。日本に生活の拠点を移してからは、夫が活動の中心を担っています」(由夏理さん)
アメリカのアレキサンダー病患者会にも、理事のひとりとして参加しているそうです。
「患者会を通して情報や意見の交換を行い、世界中の関連研究を調べ、アレキサンダー病のことを少しでも多くの人に知ってもらうように務めています。
日本にはまだ患者会はありませんが、個人的には複数のご家族と接点があります。
将来的には、国内の患者さん同士がつながり、苦しいときに支え合えるような拠点を作れたらいいなと考えています。でも正直なところ、今は日々の研究・仕事と生活でいっぱいいっぱい。そこまで活動を広げる余力はありません」(由夏理さん)
「遺伝子疾患は生物学上、一定の割合で起こる病気だから、社会の課題として解決すべき問題」と、由夏理さんは考えています。
「私たち人間の進化の過程では、DNA内の遺伝子情報が正確にコピーされず、次世代に伝えることができない、ということが起こります。これらの“エラー”が進化や才能といういい結果を生むこともありますが、息子のように有害で深刻な状況を生み出すこともあります。私たちが人間である以上、遺伝子疾患は避けることのできない病気なんです。
私自身がそうであったように、身近な人が実際に遺伝子疾患にならない限り、なかなか自分事として考えるのは難しいと思います。でも、遺伝子疾患の患者さんは、生まれたときからほかの選択肢を与えられることなく、生きる機会を奪われるような病気と闘っています。
そんな人たちが地球上には一定数いることに思いをはせ、寄り添うことができたら、すべての人にとってより生きやすい社会になるのではないでしょうか。
息子だけでなく、遺伝子疾患に苦しむ多くの患者さんの役に立ちたい。そのために、これからも創薬研究開発に力を注ぎ、患者さんとご家族の支援につなげていきたいと考えています」(由夏理さん)
お話・写真提供/ブルーメンタル由夏理さん 取材協力/アステラス製薬株式会社 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部
まとめ文
希少疾患の息子を育てる母親、アレキサンダー病の研究者、遺伝子疾患の新薬研究開発者という3つの顔を持つ由夏理さん。「息子の笑顔を見るために、そして、希少疾患と闘う患者さんのために、今日も頑張ります!!」と明るく力強く語っていました。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
続きを読む
ブルーメンタル由夏理さん(ぶるーめんたるゆかり)
PROFILE
イギリスのロンドン大学・セントジョージ校医学部卒業。イギリスのケンブリッジ大学病院にて外科医勤務。2021年、希少疾患支援のためのNPO「K.U.N.O.」をドイツで設立。2021年に帰国し、アステラス製薬に入社。創薬研究開発業務に従事。また、京都大学iPS細胞研究所でアレキサンダー病の研究を行うかたわら、アメリカのアレキサンダー病患者会「End AxD」の理事を務める。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年5月の情報であり、現在と異なる場合があります。
記事一覧に戻る