「なんでも相談できる医師になりたい」と、地域で活躍する小児科医を志した山下匠先生。東日本大震災後に小児科の診療所の数がゼロになった福島県南相馬市で、2024年6月に「はらまちスマイルクリニック」を開業しました。近くに受診できるクリニックができて助かっているという声も多く、地域の子育て世帯の頼みの綱になっています。
全2回のインタビューの後編では、山下先生に現在のクリニックの様子や福島での生活、地域医療の課題などを聞きました。
困ったときに、頼れる場所になるために
――山下先生が南相馬市にクリニックを開業して、約1年が経過しました。地域の人からの声はどうですか。
山下 「先生のクリニックが開いていて助かりました」といった声をいただくことがあり、うれしく思っています。クリニックができる前は、具合の悪い子を車で30分かけて遠方のクリニックまで連れていかなくてはならず、大変な思いをしていたご家族も多かったそうですが、市内に開業したことで少しでも地域の皆さんのお役に立てているのかなと思います。
緊急対応が必要な際には、以前勤務していた総合病院とスムーズに連携し、より適切な医療につなげられる体制を整えています。
――病気の子を預かる病児・病後児保育も行っています。
山下 クリニックの開業にあたってとくに重視したのが、病児・病後児保育の導入でした。働く保護者の方々にとって心強い存在になればと考えて、相双地区(相馬市、南相馬市、相馬郡および双葉郡の 12 市町村)で初めての病児・病後児保育室「にこにこ」を開始しました。院内には専用の一時保育室を設けて、保育士および看護師が、治療中または病気の回復期にある子どもたちを安心して預かれる体制を整えています。
開業当初は利用者が少なかったものの、最近口コミや新聞記事などを通じて利用が増えてきました。まだまだ認知度が低いという課題もありますが、少しずつ、必要としてくださる方に情報が届き始めているのを実感しています。
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クリニックから広がる、地域貢献
――スタッフの働きやすさにも気を配っているそうです。
山下 開業にあたり、クリニックでの働きやすさも重視した部分です。私自身、子どもを育てる父親として、学校行事や急な体調不良への対応がいかに重要なのかを、身をもって感じてきました。だからこそ子どもがいるスタッフには「子どものイベントのときは休んでください」と伝えています。いざというときは元看護師の妻が代打で入れることも、うちのクリニックの強みです。
――さらにクリニックの外にも目を向けて、ほかの地域との連携も進めています。
山下 「相双地区の子どもたちの力になる」がクリニックのコンセプトですが、福島第一原発がある双葉郡や、浪江町の復興はまだまだこれからだと感じています。現在、双葉郡には常勤の小児科専門医がいないため、今年4月からは双葉町の診療所に、月1回のペースでお手伝いに行っています。福島移住前に、東京の離島で総合診療医として勤務していた経験をいかして、双葉町では内科を中心に子どもから高齢者の方まで幅広く診察しています。今後は大熊町や富岡町などほかの町とも話を進めて、乳幼児健診などで力になれればと模索しているところです。
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この町と、未来を育てていく
――南相馬市は現在人口5万5069人(2025年4月現在)です。東日本大震災の影響で子育て世帯が減少したそうですが、今はどのような様子でしょうか。
山下 震災直後、南相馬市は東京電力福島第1原発から半径20~30km圏内であることから「緊急時避難準備区域」に指定されました。一部の地域は2015年まで帰宅困難区域だったことから、子育て世帯が大きく減少しました。私が移住した2021年ころには徐々に子育て世帯が戻ってきている様子でしたが、現在は全国的な少子高齢化の影響で、年間出生数は減少しています。
この地で生まれ育った人たちが、再び故郷に戻って子育てしようと思えるような環境を整えるには、医療というインフラの充実が欠かせません。クリニックを開業したことで、少しでも地域の少子化に歯止めをかける一助になれたらと願っています。
――奥さまが浪江町の出身だそうですが、訪れたことはありますか。
山下 妻の両親は震災後に他県に移り住んでいたので、初めて浪江町を訪れたのは帰宅困難区域が解除された2017年でした。震災当時のまま残っている建物がたくさんあって、人もあまり戻っていない様子でしたので、本当に静かだなと感じました。あれから少しずつ新しい建物ができたりして、復興に向けて動いている様子を実感しています。
震災当時、私はアメリカに大学の卒業旅行に出かけていて、テレビで被災の状況を知りました。距離が離れていたこともあり、正直なところ、どこか現実感が持てなかったのを覚えています。その年の4月に研修医として入職した東京の広尾病院は災害拠点病院のひとつだったので、東日本大震災で被災してけがをした患者さんに接する機会はありましたが、ずっと「震災のときに自分は何もできなかったんだな」という無力感を覚えていました。あのときの気持ちが、今この南相馬で「地域のためにやれることをやりたい」という思いにつながっています。
――最後に、これからの目標を教えてください。
山下 日々の診療を通じて、この地域での医療の重要性を感じるとともに、地域の方々の期待に応えたいという思いを新たにしています。南相馬の町が少しずつにぎわいを取り戻し、子育て世代が安心して暮らせる環境になっていく一端を担えることが、私にとってのやりがいです。
これからもこの町で、そして相双地区全体で、医師としてできることを模索し続けていきたいと思っています。「相双地区の子どもたちの力になる」というクリニックの理念のもと、地域との関係を築いていきたいです。
お話・写真提供/山下匠先生 取材・文/武田純子、たまひよONLINE編集部
福島県相馬地方の伝統行事「相馬野馬追(そうまのまおい)」は、約400騎の騎馬武者が駆け抜ける、1000年以上の歴史を持つお祭りです。震災以降は規模を縮小して継続され、2022年には12年ぶりに大熊町で騎馬武者行列が実施されました。2025年は5月24日(土)〜26日(月)に開催される予定です。
「去年(2024年)はクリニックの開業直前だったので参加する余裕がなかったのですが、今年は協賛させていただきました」と山下先生も相馬野馬追を楽しみにしているそうです。南相馬の未来を見据えながら、家族や地域の人たちと日々を積み重ねる山下先生の姿が心に残りました。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
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山下匠先生
PROFILE
1985年東京都足立区生まれ。2011年に自治医科大学医学部医学科卒業後、研修を経て東京都の離島(新島村、利島村、小笠原村母島)の診療所に勤務。2021年に南相馬市に移住。南相馬市立総合病院の小児科での勤務を経て、2024年6月にはらまちスマイルクリニック開業。3児の父。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年5月の情報であり、現在と異なる場合があります。
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