布を発泡スチロールのパネルに埋め込み、絵を描く“きめこみイラストレーター”として、広く活躍中のつぼしまみさとさん。プライベートでは、4人の小学生のお子さんがいるママですが、実は4人の子どものうち、3人は一卵性の三つ子の男の子なんだそう。8年前、おなかの子が一卵性三つ子だとわかった瞬間の驚き、大変だったつわりや上の子がいながらの多胎の妊娠生活について、詳しくお話を聞きました。全2回のインタビューの前編です。
一卵性の三つ子妊娠が判明!そのときの気持ちは「笑うしかない!」
――三つ子妊娠がわかったときの状況を教えてください。
つぼしまさん(以下敬称略) 三つ子を妊娠したのは長女が1歳のころです。私にはもともと甲状腺機能低下症という持病があり、長女の妊娠には7年もかかって、人工授精6回目にしてようやく授かった背景がありました。そのため、2人目は欲しくてもすぐに授かることは難しいだろうと思っていたんです。しかし、ある日、生理が来ないので市販の妊娠検査薬を使うことに。すると、陽性反応が出ました。
早速、近所の産院を受診したところ、「エコーに影が複数見える」と先生に言われました。「双子かもしれないけれど、うちでは詳しくわからないから大学病院に行ってください」と紹介され、すぐに受診。するとそこで、医師から「三つ子ですね」と告げられたんです。
――それを聞いて、どのようなお気持ちでしたか?
つぼしま え!?三つ子って!?驚き過ぎて、笑うしかなかったですね。診察後に夫に電話したら、私と同じ感じで『三つ子?え〜!?』と繰り返すばかり。『こりゃ、えらいことが起きたぞ!』という感じでした。
一卵性の三つ子って多胎妊娠の中でも珍しいようで…。医師からは「胎盤が1つなのでリスクが高い。栄養が行き渡らずに育たない子が出ることもあり得る」と告げられ、ほかにも妊娠生活や出産の危険について教えてもらいました。
――不安を感じたのではありませんか?
つぼしま 実はそうでもなかったんです。先生には「まだそんなに育っていないし、この時点で『三つ子は育てられないから、やめます』と話す人はいますよ」と言われましたし、そのあと、何度か友人にも『産むかどうか迷った?』と聞かれたこともあったのですが…。個人的には迷うことはまったくなかったですね。「迷う」という選択肢が思いつかなかったと言ったほうが合っているかな。ただただ三つ子という事実に驚きながら、「妊娠をやめるようなことはせずにこのまま行きます」と先生に伝えたと思います。
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つわりは1人目のときよりも圧倒的にハード!
――つわりはどのような感じでしたか?
つぼしま つわりは三つ子妊娠が判明してすぐに始まりました。1人目のときよりだいぶ重かったです。とにかく気持ち悪くて、ほとんど食べられなくて…。夫が飲めるタイプのビタミンゼリーをたくさん買ってきてくれて、それをちょこちょこ摂取していましたね。なぜか海苔(のり)が好きになって、よく食べていました。
あと、妊娠の影響かはわかりませんが、初期は鼻血がしょっちゅう出ていました。つわりの症状が落ち着き始めたのは妊娠16〜20週ごろくらいだったと思います。
――つわりが終わると、少し楽になりましたか?
つぼしま それがおなかの大きくなるスピードが速く、重みによる体への負担や気持ち悪さを感じるようになったので、楽にはならず…。当時長女を保育園に通わせていましたが、送り迎えが本当にきつかったです。
その保育園が駅の近辺なのですが、わが家からは少し距離があるんですね。自転車ならすぐに行けるけど、危ないから乗れない。毎日ベビーカーに乗せて、ベビーカーごとバスに乗って送り届けていたけれど、もうクタクタで。帰りに駅周辺のドーナツショップに寄って1度休憩をしないと、再びバスに乗って家まで戻れないほど疲れていました。
結局、当時通っていた保育園だと、私が産後に送り迎えできないということで、それを見越して、出産前に長女を通園バスのある認可外のこども園に転園させました。大きいおなかで園探しに駆け回ったのは大変でしたし、保育料は高かったのですが、通園バスはマンションのすぐ前まで来てくれたので、本当に助かりました。
――転園できてよかったです。1歳児を育てながらの多胎妊娠は本当に大変でしたね。
つぼしま はい。当時は長女を抱っこすることも本当はNGだったと思いますが、そういうわけにもいかず、大きなおなかの上で抱っこをしていました。
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妊娠後期で突然、入院に。長女が大号泣!
――多胎妊娠の場合、出産前に入院することが多いですが、出産前の入院はいつからしましたか?
つぼしま 妊娠33週のころです。ある日、健診に行くと「子宮口が3cm開いているので、帰らないでください」と言われ、そのまま入院することとなりました。「ちょっと荷物を取りに帰りたいです」と伝えたのですが、「その間に何かあったら困るから」と止められて、病院に残ることに。突然すぎて、心の準備も何もできないまま、娘とも離れ離れになってしまいました。
今、思い返してもあのときは本当につらかった。長女とビデオ通話をしたら、長女が大号泣し、私も切ったあとに泣きました。入院した大学病院とわが家は2駅の距離で、面会が許された日は、夫が仕事帰りに自転車で娘を連れて来てくれて、少しだけ顔を合わせられたことも。あのときのことは、今も忘れられません。三つ子が生まれてからもしばらくは長女に思うようにベッタリさせてあげられず、寂しい思いをさせたと思います。
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「36週までもたせてほしい」と言われたものの…もう無理!
――出産直前は体の負担もだいぶハードだったのでは?
つぼしま はい。おなかがどんどん大きくなってくるし、腰が痛くて体の体勢を変えるのもひと苦労だし、トイレは頻回で、夜も眠れなくて…。付き添ってくれた母からも「見ていて心配になる」と言われましたし、私自身も「もうギリギリだな」と感じていました。
当時、大学病院の院長先生が診察に来られて、「できれば36週までもたせたい」と言われたんです。でも、私の体はもうそんな悠長に言っているどころではない!毎日私の診察をしてくれていた先生が「これは34週の頭で限界です」と院長先生に言ってくださり、34週に入ってすぐに帝王切開をすることが決まりました。
――出産当日はどのような感じでしたか?
つぼしま 当日は手術室に10人くらいのスタッフがスタンバイしていました。赤ちゃんを取り出す先生と、受け取って呼吸をさせる先生と…みたいな感じで、スムーズに対応していただきました。
出生体重は長男が1900g、ニ男が1962g、三男が1570g。私自身は多胎の子の体重についてどのくらいあるといいか詳しくなかったのですが、医師からは胎盤が1つにしては、きちんと育っていると言われて、少し安心しました。その後、3人はNICU(新生児集中治療室)とGCU(新生児回復室)にお世話になり、小さく生まれた三男も退院する1カ月半後には、2754gまで大きくなってくれました。
お話・写真提供/つぼしまみさとさん 取材・文/江原めぐみ、たまひよONLINE編集部
「三つ子」と聞いて、不安よりも「これはすごいことが起きたぞ!」という感覚が大きかったという、つぼしまさん。その言葉からは、人生の思いも寄らないトピックを楽しむポジティブパワーを感じました!
後編は、退院後の生活、イラストレーター活動と育児にについてお話を聞きました。ぜひチェックしてくださいね!
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つぼしまみさとさん
PLOFIRE
1977年生まれ。布を発泡スチロールパネル(ハレパネ)に埋め込み絵を描く「きめこみイラストレーター」として活動。情報誌・雑誌・企業カレンダーなどのイラストレーションを担当するほか、「空間に飾って楽しい作品」をテーマに、毎年個展で作品を発表・販売。きめこみを楽しむワークショップの講師も勤める。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2025年6月現在のものです。
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