テレビを中心にコメンテーターとして活躍する元衆議院議員の金子恵美さん。約10年前になる38歳直前で長男を出産後、2カ月で国会に復帰した金子さんに、出産当時のことや9年間の育児を振り返って思うことについて聞きました。全2回のインタビューの前編です。
切迫流産でも「グリーン車で来られるだろう」と言われた
――2015年に結婚、2016年2月に長男を出産した金子さんですが、妊娠中に大変だったことはありますか?
金子さん(以下敬称略) 当時衆議院議員だった私は、妊娠がわかってからも、毎日のように新幹線に乗って選挙区の新潟へ戻って議員活動をしていました。そんな働き方が体に負担だったのか、安定期に入る直前に切迫流産になってしまったんです。自分の体の変化を甘く見ていたのかもしれません。
医師から「絶対安静」と言われて横になっていたら、地元の議員から電話が来て「グリーン車なら横になれるから帰ってこられるだろう」と言われたんです。「絶対安静だからベッドから動けない」と説明してもなかなか理解してもらえなくて、つらい思いをしました。
――妊婦でありながらの議員活動は、精神的な負担もありましたか。
金子 妊娠後期に入ってからは、大きいおなかで本会議や委員会に出ていましたが、いわゆるマタハラ的なものも経験しました。「国会の花形」とも言われる予算委員会では、先輩議員から「いつ休んでもいいよ」と言われました。テレビ中継が入ることもあり人気の予算委員会には希望者が多く、私のポストがあけば、ほかの議員が代わりに入ることができます。もちろん体を心配してくれる方もいましたが、衆議院議員の仕事をしながらのマタニティライフは体力面でも精神面でも大変でした。
――出産のときのことを教えてください。
金子 私が出産した病院では無痛分娩を選ぶ人がとても多かったらしいんですが、私はどうしても出産の痛みを経験してみたくて、自然分娩を選んだんです。先生から何度も「本当にいいですか? ここに来る人はみんな無痛分娩を選んでいますよ」とかなり説得されたんですけど、私は「自然で!」と押しきりました。
でも、いざ陣痛が始まってみると、その選択を後悔しました。20時間も続く陣痛に「こんなにつらいなら無痛にしておけばよかった〜」って。そんなやっとの思いで産んだわが子は、首にへその緒が巻き付いて、チアノーゼで青白い顔をしてすごく心配だったことを今でも覚えています。黄疸も出てしまったので、しばらく保育器に入るとも言われて、それも心配でした。
さらに夫の、例のことがありましたので、産後はいろいろと大変でした(笑)
――出産後まもなく夫の宮崎謙介さんの女性問題が週刊誌に報道されたことですね。産後は不安定になりやすいメンタルをどうやって保っていましたか?
金子 出産した日の夜に夫から週刊誌報道が出ることを聞きました。夫がそれまで見たことがないほど青い顔をして病室に入ってきたのでこれは金銭問題や薬物問題といった法に触れるようなことをしたんじゃないかと心配しましたが、そうでないとわかってホッとしたのが正直なところなんです。今思えば、そのときの私はすごく冷静だったと思います。
もしかすると産後でハイテンションになっていたから、怒りも一瞬で治まったのかもしれません。「そんなことか」と、思えるくらい、子どもと会えた喜びのほうが大きかったのでしょうね。
続きを読む
息子からの手紙は額装してリビングに飾っている
――長男の乳幼児期を振り返って「いちばん大変だった!」と感じることはどんなことですか?
金子 何より大変だったのは、息子の寝かしつけでした。寝つきが悪い子で、雨が降った日など、お散歩や公園遊びに出られないときは運動不足になってしまって、寝ないことがすごく大変でした。体力がありあまっていて、疲れさせるために家で運動をさせたり、長めにおふろに入れたりとか、寝かせることが非常に大変だったと記憶してます。
また私は産後2カ月で仕事復帰して、産後半年で総務大臣政務官に就任したのですが、復帰後も息子に母乳を飲ませていたので、出張に出ると胸がパンパンに張ってしまうことがありました。あるとき、アフリカで行われた国際会議に出席した際にホテルのバスルームで母乳をしぼって捨てたんです。そのときに、ふと「子どもに飲ませなきゃいけない母乳を、なんでここで捨ててるんだろうな。一体私は何をしてるんだろう」と自責の念に駆られ母親として後ろめたさを感じたこともありました。
息子が2歳くらいになってからは、地元のお祭りや地域の運動会での政治活動のときに息子を一緒に連れて行くようになりました。息子にいろんなものを見せて、経験させてあげたかったからです。でも「政治家が子どもをだしにして子育て支援をアピールしている」と言われてしまったことには、とても傷つきました。女性が子育てをしながら、当たり前に仕事をする姿は、政治の世界=男性社会では珍しく映ってしまったんでしょう。
――逆に母親としての幸せを感じたことは?
金子 日々のことでは、子どもの寝顔を見ることはこれ以上ない幸せです。
あとは、息子が小学1年生くらいのころだったと思いますが、親族の集まりで息子が台の上に立って「みなさ~ん〜!」と話をし始めたことがありました。議員時代の私の演説とよく似た話し方で、おなかの中で聞いていたんだろうな〜、と驚きました。子どもの様子に自分の政治家としてのキャリアの一部が見えたことは、親としてうれしかったですね。
息子は日記や手紙を書くのも好きなので、ときどき手紙をくれるんです。それを読むと、母親業ってすばらしいなと思います。もらった手紙はすべて大切に保管しています。大きな紙に書いてくれた手紙は、額に入れてリビングに飾って、日々幸せをかみしめています。
――子育てを経験して、自身の考え方や価値観などに変化はありましたか?
金子 以前の私はキャリア最優先でとことん政治を極めたいと思っていました。ですが、親になったことでキャリアより子どもが最優先になりました。出産育児は間違いなく私の人生観や価値観を大きく変えたと思います。
そして、社会常識を子どもに教えることと、自分の価値観を押しつけることは違うんだなということにも気づきました。その線引きがなかなか難しいです。
たとえば、私の息子は劇団に所属していて、彼自身はテレビの出演にあこがれをもっています。しかし、顔を知られることのリスクを考えると、「子どものうちはできるだけ顔出しを控えたほうがいいのでは」と考え、それを社会常識として伝えるべきなのかもしれないとも思っています。
親としての常識や大人の観点でリスクを伝えるべきなのか、子どもだからこそ持つ「今しかできないこと」への希望や価値観を大切にしてあげるほうがいいのか、その折り合いの難しさを日々感じています。
――夫婦で子育ての方針で大切にしていることはありますか?
金子 どの家庭でもそうだと思いますが、仕事と子育ての両立となると、スケジュールも含めてコミュニケーションを密にとらないと成り立ちませんよね。夫とは小さなこともよく話しています。
夫が息子に対して大事にしているのは、息子の自主性です。息子の部屋のドアには、今年の書き初めで夫が書いた「自主的 能動的」っていう言葉が貼ってあるんです。息子は毎日それを見なきゃいけない(笑)、勉強も、スポーツも自主性を持って、能動的に取り組んでほしいと思っていますが、息子はあんまり運動が得意ではなくて、どちらかというと絵を描いたり、演劇で表現したりすることが好きなタイプ。息子がやりたいことには、親の私たちとしては、どんなことでもチャレンジする機会を与えますし、万が一息子がつまずいてしまったときには、決して無理はさせないけど、全力でサポートするようにしています。
続きを読む
「きょうだいがほしい」息子の願いをかなえたい
――金子さんは不妊治療を続けているそうですが、いつごろ始めましたか?
金子 息子を出産したのは38歳直前でしたが自然妊娠だったので、議員の仕事を続けてもいずれ2人目ができるだろうとどこかで思ってしまっていたんです。私自身も姉が2人いますし、息子にもきょうだいがいたほうがいいなと思っていたのですが、なかなか2人目に恵まれませんでした。それで、40歳手前になってから不妊治療を始めました。
不妊治療を始めてから今のクリニックで3軒目になります。今も続けているのは、息子がきょうだいを欲しがっているから。5歳くらいから「なんで僕には弟がいないの? お友だちはきょうだいがいて楽しそうだな」と言うようになり、息子の願いをかなえたいな、と。
現在47歳になりましたが、不妊治療は45歳を区切りにしようと考えていたこともありました。でも、“49歳で妊娠した人もいる”なんて話を聞くと、数パーセントでも可能性があるなら・・・と今も治療を続けています。ただ、経済的な負担はかなり大きいです。会計時の請求額を見て「こんなに!?」と目を疑うほどの金額です。でも夫が「自分の人生だから納得するまでやったほうがいい。全面的にサポートするよ」と言ってくれるので、ありがたいです。
――不妊治療が保険適用になりましたが、43歳までという年齢についてはどう思いますか?
金子 政治に携わった経験のある者としては、限られた予算で公費を投じることを考えると、科学的な根拠として妊娠の確率を考えた場合、43歳未満という年齢で区切る妥当性はあると思います。でも、政治的な背景を無視して、一不妊治療者の立場では、望む人が最後までチャレンジできるような環境になってほしいというのが本音です。
少子化対策では子育て支援が注目されますが、子どもをほしい人の妊娠をかなえられるようにすることが、いちばんの少子化対策ではないでしょうか。平日の日中のレディースクリニックで、たくさんの女性たちがパートナーと一緒に待合室にいる光景を見ると、ここにこそ手厚い財政支援をするべきだろう、とずっと思いながら私自身も治療を続けてきました。2023年には東京都で卵子凍結費用の助成が始まりましたが、子どもを持ちたい女性を支援する制度が、これからもっと広がることを願っています。
お話・写真提供/金子恵美さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
過去の夫婦の試練を乗り越えて、今はコミュニケーションを密に取ることを大事にしているという金子さん。お互いのスケジュールや子どもの学校のことなどなんでもこまかくよく話すそうです。とくに長男の小学校受験では家族で一丸となって取り組んだのだとか。「今は子育てが私にとっていちばん大事な仕事」と笑顔で話してくれました。
続きを読む
金子恵美さん(かねこめぐみ)
PROFILE
1978年、新潟県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。2007年新潟市議会議員選挙に当選、新潟県議会議員を経て、12年に衆議院議員に初当選。16年に総務大臣政務官に就任。17年の衆議院議員選挙で落選。現在フジテレビ系『Live News イット!』、TBS系「ゴゴスマ」など、多数のメディアにコメンテーターとして出演中。
●記事の内容は2025年7月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
記事一覧に戻る