2012年7月、吉川優子さんは幼稚園のお泊まり会に参加していた5歳の息子・慎之介(しんのすけ)くんを川の事故で亡くしました。思いもよらぬできごとでした。吉川さんは「自分のような悲しい思いはしてほしくない」「子どもの安全を守りたい」という思いから、事故を予防するための行動を広める活動を行っています。
全2回のインタビューの前編です。
幼稚園のお泊まり保育に参加していた息子が水難事故に
――2012年7月20日、5歳だった慎之介くんは幼稚園のお泊まり会で川での水遊び中、急に増水した川に流されて尊い命を失ってしまったとのこと。慎之介くんはどんなお子さんでしたか?
吉川さん(以下敬称略) 慎之介はとても元気で明るい子でした。当時Eテレで放送していた「クインテット」という番組が大好きで、その番組のキャラクターのまねをよくしていました。幼稚園に入園したのは3歳のとき、年少クラスからでした。毎日楽しく通園していて、年長になってからはピアノの習い事を始めたところでした。幼稚園では、慎之介にも私にもたくさんのお友だちができていました。
慎之介が生まれたのは、私が35歳のときです。結婚して8年がたっていて、「子どもはほしいけれど、ずっと夫婦2人で暮らしていくのもいいかもしれない」と思い始めていたころ、妊娠がわかりました。
私も夫も関東の出身ですが、2008年ごろ夫の仕事の都合で愛媛県西条市に転勤することになりました。とても自然豊かで子育てもしやすい街でした。
――事故が起きたときの様子を教えてください。
吉川 当時、私立幼稚園の年長だった慎之介は、幼稚園の毎年恒例のお泊まり保育に参加しました。市が管理する「石鎚ふれあいの里」という施設に宿泊する予定で、1日目は施設の前にある加茂川で水遊びをするとのことだったんです。
朝、「しゅっちょういってきます」と言って、慎之介は楽しみにしていたお泊まり保育に出かけました。この言葉が私が慎之介と最後に交わした言葉になりました。
慎之介たちがお泊まり保育に出かけたとき、私はほかの保護者と一緒に、幼稚園の運動会についての打ち合わせをしていました。
話し合いが終わり、みんなで帰ろうと駐車場に向かっていると、幼稚園の主任の先生から電話がありました。「お母さん、落ち着いて聞いてください。慎之介くんが川に流されました」という連絡に、私は頭が真っ白になり、その場でへたり込んでしまったんです。
――その後の連絡はどうしたのでしょうか?
吉川 一緒にいた保護者の人たちが私の電話を代わってくれて、状況を聞き取ってくれました。同じ幼稚園の保護者で子どもたちはお泊まり保育に参加していたので、事故のあった現場と搬送された病院の二手に分かれて行動することにしました。
慎之介は心肺停止状態で、受け入れ病院がなかなか決まらず、ようやく隣の市にある県立の3次救急病院に搬送されたと連絡があり、すぐに向かいました。
そのころは、すでに夕方になっていて、車通勤の人が帰宅する時間になっていました。道路が混んでいてなかなか進まなかったのを覚えています。
――夫さんもかけつけられたのでしょうか?
吉川 私が病院に到着したとき、慎之介は心肺停止状態で・・・。まもなく死亡が確認されました。
夫にも幼稚園からの電話があったあとすぐに連絡はしましたが、その日夫は熊本に出張中で、すぐには駆けつけられませんでした。どうにかその日のうちに、ありとあらゆる手段を使って帰ってきてくれました。
後日わかったことですが、夫の手元には電車のチケットやら、タクシーのレシートやらがぐちゃぐちゃになってたくさん残されていました。少しでも早くなんとかして帰ってきてくれようとした姿を想像しました。
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「なんで僕死んじゃったんだろう」と、一番驚いているのは慎之介だと思う、という夫の言葉
――信じられない気持ちでいっぱいだったと思います。
吉川 何がどうしてこうなったのかわからない、という状況の中、慎之介が亡くなった2日後に葬儀を行いました。葬儀の際、夫が「『なんで僕死んじゃったんだろう』と、一番驚いているのは慎之介だと思います。こういうことが二度と起きないよう、原因究明をしっかり行います」と言いました。
幼稚園からは何の説明もないままで、このあと、「何もお話しできません」という対応が続きました。
――事故の4日後には、事故現場を訪れたとか。
吉川 慎之介の葬儀のときの夫の言葉がきっかけになったこともあると思うのですが、事故のとき慎之介と同じ場所にいた子どもたちの保護者たちが動き出してくれたんです。
私たち夫婦の思いを受け止めてくれて、葬儀の次の日に、保護者の方から、「子どもたちの記憶が薄れてしまう前に、現場で検証をしたい」と言ってくれたんです。事故のあった4日後には、たくさんの子どもたちや保護者たちが集まってくれて、現場で検証を行いました。
――現場ではどんなことを行ったのでしょうか?
吉川 私が慎之介役となり、当時の様子を再現しました。子どもたちは、事故でショックを受けていると考えられます。もちろんその時点では現場に来られない子もいました。無理せず、できる範囲で当日の様子を再現しました。
子どもたちは、増水した川の様子や「慎ちゃんはあのへんにいたよ」など、一生懸命事故の様子を教えてくれました。
現場検証をして、とても驚いたのは子どもたちが遊んでいた川がとても深かったことです。浅いところで約45cmの深さ(大人のひざくらいの水位)、深いところで約74cm(大人の股下くらいの水位)でした。31人の子どもたちが遊び、8人の先生たちが見守っていたそうです。
その後、1回目の現場検証には来なかった幼稚園の関係者も参加し、2回目の現場検証が行われました。また、偶然にも事故当時、現場にいた観光客の人とも連絡がついたんです。子どもたちの証言や宿泊予定だった施設の方たちの話や、少しずつ当時の状況があきらかになってきました。
――当時、どのような状況だったのでしょうか?
吉川 子どもたちが遊んでいたときは晴れていたのですが、午前中に雨が降っていました。その影響により急に増水したようです。そのとき慎之介を含め、4人の子どもたちと先生1人が川に流されてしまいました。そして川の中にあった2か所の岩に、10人の子どもたちが取り残されてしまっていました。
慎之介と一緒に流された4人の子どものうち、2人は浅瀬に流れ着きました。慎之介ともう1人の子が下流まで流されてしまい、別のある先生が追いかけたようです。緑色の帽子をかぶっていた慎之介は、浮き沈みしながら流されていき、途中でストンと見えなくなったとのことでした。ちょうどそのとき、慎之介と一緒に流された子が途中の岩にしがみつき「助けて」と叫んでいたとのこと。先生はその子の救助に向かったそうで・・・。
先生はパニックになっていたのか、慎之介を見失った場所をほかの人に伝えることもできず、助けを求めている子に対して「頑張って」と声をかけるしかなかったのだそうです。
岩にしがみついていた子は無事救出されました。その後、慎之介を捜索し、施設の人が川の中に沈んでいる慎之介を見つけてくれました。すぐに救助され救急車に引き渡され、搬送されたのです。
――川にのまれた子どもたちはもちろん、その場にいたみんなが怖かったと思います。
吉川 現場検証で子どもたちから話を聞いた際、「知らない先生が助けてくれた」など、「知らない先生」という言葉がたくさん出てきました。よく聞いてみると、引率の先生たちの多くはパニックになりまったく動けず、近くにいた観光客や施設の人たちが助けてくれたり、抱っこをしてくれたりしたらしいんです。残念なことですが、幼稚園が事故への備えをまったくしていなかったことが判明し、とてもショックでした。
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「これまで何もなかったから大丈夫」という過信が事故につながることに
――具体的にどのような対応不足があったのでしょうか?
吉川 事故が起きるには、いくつもの要因がありました。まず、幼稚園はライフジャケットなどの準備をしていませんでした。また、お泊まり会の前に現場の下見もしていなかったとのこと。お泊まり会で川遊びをするのは、何年も続いていた行事だったんです。園内では「これまでも何事も起こらなかったから、今年も大丈夫だろう」という気持ちがあったようです。
お泊まり保育の事前説明会があった際、親たちへも「子どもの足首に水がかかるくらいの、浅いところで水遊びをします」という説明があった程度でした。親たちは「ふだんから子どもを見てくれている幼稚園が開催するのだから、安心してお任せできる」と考えていました。幼稚園を信頼していたので、どんな場所で遊ぶのかきちんと確認をしなかったんです。
事故後、現場検証を行った際「こんなに深い川で子どもたちを遊ばせたのか」と驚きました。しかも当日、幼稚園側は天候が悪かったときの別の遊びを用意していなかったんです。「スケジュールをこなさなくては」というあせりもあり、最初の予定どおり川での水遊びをしてしまったようです。検証では、この日、午前中に山頂付近で大雨が降っていたことも確認できました。山で雨が降ったら川は増水するという知識がなかったことも、原因のひとつに挙げられます。
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事故を予防するため、声を上げていきたい
――準備不足により、悲しい事故が起きてしまったのだと思います。
吉川 「これくらい確認しなくても大丈夫だろう」という慢心が事故につながってしまいました。
慎之介を失った私たち夫婦を、慎之介の幼稚園のお友だちたちが力づけてくれました。慎之介が亡くなったことを理解して、私たち夫婦のところに来ては話をしてくれたんです。
「慎ちゃんのパパとママとお話をしたい」と連絡をくれた子、慎之介とどんな遊びをしていたかを教えてくれる子もいて・・・。私たちがとてもつらい思いをしているのを知っていて、少しでも励まそうとしてくれているのが伝わりました。子どもたちも怖い思いをしたのに、一生懸命現実と向き合おうとしていたし、私たちのことまで気づかってくれました。
――みんな優しい子どもたちですね。
吉川 もうだれにも私たちのような悲しい思いをしてほしくなくて、私と夫は、2014年に「一般社団法人吉川慎之介記念基金」を立ち上げました。過去の事故から学び、どうしたら水難を防止できるかを伝える活動を行ってきました。これまで水遊びをする際はかならずライフジャケットを着用することなど、子どもの安全と事故予防に取り組んできました。少しずつ水難事故への予防対策が浸透してきたように感じています。
事故は予防できるものです。これまで起きた事故をきちんと検証し、安全について学ぶことが大切だと思っています。
お話・写真提供/吉川優子さん 取材・文/齋田多恵、たまひよONLINE編集部
とてもつらい経験をされた吉川さんですが、「子どもの安全を守りたい」と活動を続けています。悲しい思いをする人が1人でも減るため、事故を予防していきたいと力強く話してくれました。
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吉川優子さん(よしかわゆうこ)
PROFILE
2012年7月、長男の慎之介さん(当時5歳)を、私立幼稚園のお泊まり保育での水遊びで亡くす。14年、夫と一般社団法人「吉川慎之介記念基金」を設立。識者らと「日本子ども安全学会」を開設(学会は23年、第10回大会を節目に閉会。24年、基金解散)。ライフジャケットの普及を進めるほか、子どもの事故全般の予防に向けた公的なしくみづくりを唱えている。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年7月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
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