かつて朝の人気情報番組の顔として活躍していた杉崎美香さん。現在も9歳の長男の子育てをしながらフリーアナウンサーとして活動しています。46歳になった杉崎さんですが、現在は第2子を妊娠中。妊娠後期に入り、出産間近です。第2子の妊娠は、長男が「僕が小学校2年生になったら赤ちゃんくるよ」のひと言がきっかけだったそうです。そんな杉崎さんに自身の子ども時代のことからアナウンサーになるまで、そして、長男の出産時のことを聞きました。全2回インタビューの前編です。
思春期でもお父さんと犬の散歩へ行くほど仲よし
――大分県出身で2姉妹の二女とのことですが、幼いころはどんな子どもでしたか?
杉崎さん(以下敬称略) 常に母親の後ろに隠れているような、引っ込み思案な性格でした。学校でも手を挙げて発表することができず、おとなしい子どもだったと思います。母親からは「育てやすい子だった」と言われています。
――子どものころはどんなことに夢中でしたか?
杉崎 ラジオを聴くこととバレーボールが好きでした。バレーボールは小学校5年生から高校3年生まで8年間続けました。高校時代はライトアタッカーだったので、背の低かった私は毎日ジャンプの練習をしていました。バレーボールに出会ってからは体育会系の活発なタイプに変わっていったように思います。
――どんな思春期を過ごしましたか?
杉崎 思春期の女の子はお父さんと洗濯物を一緒に洗ってほしくなかったり、反抗したりする子もいると思います。でも私はそんなことはなく、むしろ父とよく話しをしていました。犬の散歩に一緒に出かけ、相談事もしていました。
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子育ての理想は、両親が実践していた「見守り型」
――両親の教育で印象に残っているエピソードや言葉はありますか?
杉崎 両親は、「ああしなさい、こうしなさい」と言うことはなく、子どもの意見を尊重して自由に過ごさせてくれました。
――進路を決めるときは相談をしましたか?
杉崎 高校や大学に進学する前はいろんな選択に迫られると思いますが、そういうときもよく父に相談をしました。そのときも「こうしたら?ああしたら?」と答えを出してくれるわけではなく、私の意見を聞いたうえでアドバイスをしてくれて、そっと寄り添ってくれるような感じでした。
――両親からしかられるようなことはなかったのでしょうか?
杉崎 比較的なかったほうだと思います。でも、一度だけすごく心配させてしまい、しかられたことがあります。
高校時代、部活が終わったあとに友だちとずっと部室で話しこんでしまっていて、気づいたら21時近くになっていました。当時は携帯もポケベルも持っていなかったので、連絡をしないまま自宅に戻りました。
家に着いたのが22時ぐらい。母からきつくしかられました。父は私のことが心配で、何度も何度も帰り道を探しに行ったようでした。私よりあとに戻ってきた父は、私の顔を見ると「帰ってきたんや、お帰り」とだけ言って、しかることはありませんでした。
そのときの父の対応を見て、逆に親を心配させるような行動はしないと反省しました。
――お父さんに「何時だと思っているんだ!」としかられていたら、また違う展開だったかもしれませんね。
杉崎 私も「友だちと話したい日だってあるじゃない!」と口答えしていたかもしれません(笑)。でも父の「無事に帰ってきているならいいよ」という姿勢が、逆にぐっときました。
――現在、9歳の息子さんの子育て中ですが、両親のような子育てを実践中でしょうか?
杉崎 息子にはどうしても「ああしたら? こうしたら?」と言ってしまうので両親のような見守る子育てはまだできていないかもしれません。日々反省しています。ガミガミ言うことだけが教育ではないということを両親から教わった気がします。こうして自分も親となり、両親の子育てを振り返ると本当に尊敬することばかりです。
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夢はアナウンサーではなく、ラジオのパーソナリティだった
――アナウンサーをめざすようになったのはいつごろからですか?
杉崎 小学生のころから自分の部屋にこもって地元大分のFMラジオを聴くことが好きでした。好きな番組を流しながら「いつか自分もラジオのパーソナリティになりたいな」と思っていました。なので、最初からアナウンサーを志望していたわけではないんです。
――ラジオのどんなところに魅力を感じていましたか?
杉崎 ラジオは、周波数を合わせるだけで、まるでパーソナリティと1対1で会話をしているような雰囲気になれるところが魅力です。
当時、私には好きな女性DJの方がいました。リスナーさんからのお手紙やはがきを読んでリクエスト曲を流す番組でしたが、その女性DJさんがリスナーさんからのお手紙に返す言葉がとってもすてきで・・・。私に話しているわけではないのに、まるで話しかけられて励まされているようでした。
また、当時は音楽番組も多かったので流行りの曲がいち早く聴けることも魅力でした。ラジオのおかげで洋楽も詳しくなりました。
――最初はラジオのパーソナリティになりたかったのでしょうか?
杉崎 私にとってラジオは心が豊かになるようなメディアでした。そこから私もラジオを聴いてくれている人のリクエストに応えて曲を流したり、悩みを受けて励ましたりできたらいいなと思うようになりました。
――大学卒業後、長野県にある信越放送に入社されました。
杉崎 就活中にもちろんラジオ局も考えましたが、なかなかパーソナリティの募集はありませんでした。そこで、アナウンスの基礎を習うにはテレビ局もいいかもしれないと思い、テレビ局も視野に入れました。私が最初に就職した信越放送は、ラジオ局ももっていたので魅力を感じ、就職しました。
――両親は長野県に行くことを心配していませんでしたか?
杉崎 自分が親になりわかるようになりましたが、きっとたくさん心配をしたと思います。そして寂しかったと思います。でも私の選択に一切後ろ向きなことは言わず、静かに見守ってくれていました。
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第1子出産はトラブル続き。乳腺炎で胸の切開も経験
――信越放送を退社後、現在の事務所のオーディションを受け合格しました。どんなことがきっかけだったのでしょうか?
杉崎 信越放送に入社するときにいずれは福岡や大阪、東京の局に移りたいと思っていました。その理由は大分の両親に自分の姿を見てもらいたいという気もちがあったからです。そこで今の事務所に履歴書を送り、面接を受けました。
――その後、フジテレビの『めざにゅ〜』でいきなりメインキャスターに起用され「早朝の顔」になりました。そのときの気もちを聞かせてください。
杉崎 大分の家族に見てもらえる仕事がしたいという願いがかなった瞬間でした。両親も喜んでいました。
視聴者の方からもポジティブな意見をもらうとやっぱりうれしくてもっと頑張ろうという気もちになりました。でも、朝4時からスタートする番組だったので、超朝型の生活に慣れるまでは大変でした。
――結婚後、息子さんを出産してからも睡眠不足とかなり闘ったようです。
杉崎 2015年の1月に結婚し、その夏の終わりに妊娠がわかり、翌年の2016年に息子を出産しました。不規則な仕事だったので、寝不足には慣れていたはずですが、産後すぐに始まる育児で自分の睡眠の確保と授乳が本当に大変で、軽いうつ状態になってしまいました。
――具体的にどんなことが大変でしたか?
杉崎 たとえば新しい抱っこひもを購入したらどうやって使うか説明書を読むと思いますが、何度読んでもわからないんです。頭にまったく入ってこなくて、理解ができない状態でした。そんなことが多々あり、「私、どうしちゃったんだろう」と怖くなりました。さらに仕事復帰を考え母乳とミルクの混合で育てようと思っていたのですが、母乳が出すぎてしまい、わきのした近くに副乳のような腫れができてしまうほどでした。
――どのような状態だったのでしょうか?
杉崎 脇のあたりにボコっともうひとつ小さなおっぱいみたいなものができてしまったんです。母乳がたまってくると胸に痛みもありました。搾乳機を使ってみるか迷ったのですが、助産師さんに相談すると自分の手で搾ったほうがいいと言われ、頑張って搾っていました。でも、なかなかうまく搾れなくて少しサボってしまうとすぐに乳腺炎になってしまうんです。息子のお世話もあるのに母乳を搾らないといけない状態だったので、何度も乳腺炎になってしまいました。
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読み聞かせ・朗読プロジェクト「MY SUN.」
――現在、杉崎さんは読み聞かせ・朗読プロジェクト「MY SUN.」の活動もされていますね。
杉崎 息子とよく行っていた支援センターでは、職員の方による絵本の読み聞かせの時間がありました。子どもたちが目を輝かせながら楽しそうに聞いている姿を見て、私もいつか子どもたちに絵本を読んであげたいな、と思うようになりました。また、お母さんたちや大人の皆さんにとってもリラックスできる時間になるといいなと思い、プロジェクトを立ち上げました。
――第2子を出産後も精力的に活動を続けていく予定ですか?
杉崎 これまで3回開催をしました。息子も楽しかったようで「ママ、次はいつやるの?」と言ってくれているのでこれからも続けていきたいな、いつか地方でも開催したいなと思っています。
また、イベントではクイズ形式でエシカルについて学べる時間も設けています。子どもたちの学びの場になっていくといいなと思っています。
お話・写真提供/杉崎美香さん 取材・文/安田ナナ、たまひよONLINE編集部
間もなく9年ぶりの出産を控えている杉崎さんに、子どものころからの話しを中心に聞きました。実はラジオのパーソナリティになりたかった話や、息子さんを出産後、副乳ができてしまったこと、また乳腺炎で切開まで経験された話が印象的でした。
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杉崎美香さん(すぎさきみか)
PROFILE
フリーアナウンサー。1978年10月生まれ。大分県出身。大学卒業後、2001年に信越放送 に入社し、アナウンサーとして活躍する。その2年半後にセント・フォースのオーディションを受け合格。2003年10月1日からは『めざにゅ〜』(フジテレビ系)でいきなりメインキャスターに起用され大きな話題となる。2015年に結婚し、翌年の2016年に第1子を出産。2025年夏に第2子を出産予定。
●記事の内容は2025年7月の情報で、現在と異なる場合があります。
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