たまひよ

かつて朝の情報番組で活躍していたフリーアナウンサーの杉崎美香さん。現在は46歳、第2子の出産を控えています。1人目の出産はかなり壮絶だったよう。9年前の出産を振り返りながら、第2子妊娠がわかったときのことなど聞きました。全2回インタビューの後編です。


和痛分娩で出産の予定が帝王切開に



――2016年に長男を出産しました。9年前のことになりますが、出産当時のこと覚えていますか?

杉崎さん(以下敬称略) はい、覚えています。出産は、予定日までに陣痛がくれば自然分娩、来なければ和痛分娩でと計画していました。結局陣痛はこなかったので、和痛分娩になりました。出産当日は、子宮口から赤ちゃんの頭が見えているものの、微弱陣痛でなかなか進みませんでした。急きょ、麻酔を止めて自然分娩に切り替えることになりました。先生から登山でたとえると7合目まで来ているのであと少し頑張りましょう、と言われたことをよく覚えています。麻酔を止めた途端、痛みが強くなり本当につらかったです。

――和痛分娩から自然分娩に変更になったのですね。

杉崎 先生から、「赤ちゃんの心拍が落ちてきています。体の向きを変えましょう」と言われたときはドキリとしました。陣痛のピークでしたがなんとか助産師さんに手伝っていただきながら体の位置を変えて、心拍も戻りました。でも、再び同じようになってしまい、赤ちゃんがとても苦しそうでした。そこで「お母さん、このまま長引くと赤ちゃんも苦しいと思うので、帝王切開にしましょう」と言われたんです。そこから帝王切開に切り替えることになりました。

帝王切開が決まったとき、夫はとても驚いていました。私はここまでくると赤ちゃんが無事に産まれてくれるのが一番なので、覚悟しました。帝王切開が決まってからは先生にすべてお任せしました。「心拍が落ちた」という言葉がとても怖かったので、無事に産まれたときは心底ほっとしました。

――大変な体験でしたね。

杉崎 出産前、出産はイメージが大切と聞いていたので、「つるん」と生まれてくるイメージを頭の中で育てていたんですが、出産は100人いたら100通りなんだなと実感しました。生まれるまで時間がかかったので産後の戻りも遅かったように思います。


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