たまひよ

Japan居場所作りプロジェクト代表の大澤裕子さん。妊娠中に重篤な心臓病が見つかった長女は今15歳。大澤さんがとくに心がけてきたのは、「心臓病ありきで生きてほしくない」ということ。「やりたいことに挑戦して、生きている幸せを実感してほしい」と願っています。これまで数々の困難を乗り越えてきた母娘の絆、そして「居場所」という言葉に込められた深い思いが見えてきます。全2回インタビューの後編です。


「アルバイトをしたい」。自ら社会とつながろうと一歩を踏み出した


―― 15歳になった娘さんの近況を教えてください。

大澤さん(以下敬称略) 今は元気なのですが、一昨年の冬に体調が悪化、命の危険があるということで、PICU(小児集中治療室)に10日間ほど入院しました。いったんは治療、退院できたのですが、2024年・2025年の年末年始に旅先で発作を起こし、救急車のお世話になりました。

これまで娘は一度も病気について弱音を吐いたことはありませんでしたが、今回ばかりは本当にショックだったようです。「1回ならたまたまなのかもしれないと思えたけど…。でも負けたくない。健康になりたい」と言っています。

小学校では半年、とくに中学校では2年生前半から3年生まで、結局1回も登校せずに、学校とのつながりを断っていました。さすがにそのときは私にもすごく葛藤はありましたね。

―― 今は通信制高校に通っているそうですね。

大澤 高校1年生になった娘が突然「アルバイトをしたい」と言ったんです。体調も万全ではなかったのですが、「どうしてもやりたい」と娘なりにこれならできそうだという家の近くでバイトを募集していたスーパーを見つけてきました。そして自分で志望動機を考え書いた履歴書を持って面接に行きました。心臓病であることも話したそうですが、それでも採用していただきました。私としては、もう少し学校に慣れてからにしたほうがいいと思っていたのですが、娘のチャレンジを応援することにしました。

娘は学校教育の中には自分の居場所を見つけられませんでしたが、それでも自分から社会につながりをもとうとしたことで、受け入れてもらえました。そのスーパーが長期休業に入ってしまったので、実際にアルバイトに行けたのは12回ほどでしたが。

今は通信制高校に通いながら、元気に頑張っています。


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