福岡で小さな喫茶店「Sounds Foods Sounds Good」を営む、はらだまさこさん。長男タカラくん(13歳)、長女リンちゃん(5歳)、夫との4人家族です。
「食べることと料理をすることが何より好き」というまさこさんは、2021年に長女を出産した39歳のころから体に異変を感じるように。診断は、全身や呼吸に必要な筋肉が弱っていく指定難病・筋萎縮性側索硬化症(ALS)でした。
2026年3月には、子どもたちに“母の味”を残したいという思いを込めたエッセイ&レシピ集『もしもキッチンに立てたなら』を出版。「おいしい=しあわせ」と語るまさこさんに話を聞きました。
全2回の取材の前編です。
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長女を出産したころから体に異変を感じ始める
――2013年に長男タカラくん、2021年に長女リンちゃんを出産しています。2人の妊娠・出産について教えてください。
まさこさん(以下敬称略) 長男タカラの出産はとても難産でした。破水して入院、そこから陣痛誘発剤を打ってもなかなか本陣痛につながらず、陣痛がきたのはなんと2日後のこと。それでも赤ちゃんがなかなか出てこないため、最後は鉗子(かんし)分娩となりました。
2人目はずっと考えていたのですが、お店を始めたり、なかなか授からなかったこともあり、長女は8歳違いでの妊娠・出産になりました。リンの妊娠のときのほうがつわりがひどく、出産はタカラと同じように難産でした。
――リンちゃん出産のころから、体に異変があったそうです。最初に違和感を覚えたときの様子を教えてください。
まさこ 妊娠中、左足だけ毎晩つるようになっていました。妊娠していたことによる骨盤のゆがみなどの体の変化からくるものだと思って、整骨院に通ったりしました。そしてリンの出産後は、両足がつるようになりました。
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いくつもの検査をしてALSの確定診断が
――ALSと診断されるまでの体の変化などについて教えてください。
まさこ リンが1歳になるころには、私は歩いていてつまずくようになっていました。紹介状をもらって近くの医療センターを受診しました。そこでMRIや血液検査で詳しく検査をしましたが、とくに異常がなく、足がつる原因がわかりません。その後、大学病院で診てもらうことになり、大学病院では背中に注射をして骨髄液を採ったり、それまでとは違う検査もしましたが、診断はおりませんでした。
そのころには自分でもいろいろ調べていて、「ALS」という病気ではないかと疑うようになっていました。
――確定診断はいつでしょうか?
まさこ 体調不良の原因を自分でいろいろ調べていると、ALSであるという可能性が高まっていって、怖くて病院に通えなくなった時期もあります。でも体はどんどん動かなくなっていきます。その後、大学病院で電気を流して筋肉の動きを調べる検査をしたら、筋肉が「萎縮」していることがわかりました。怖くてまた、病院に行けなくなりました。
最終的に4日間の検査入院をして、その結果「筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう・ALS)」の診断を受けました。2023年6月のことです。「やっぱりか…」と思いました。
――医師からはどのような説明がありましたか?
まさこ 今後、予測される病気の進行について、説明してくれました。ただ診断名を聞いて涙が止まらなかった私は、あまり鮮明には覚えていません。自分で調べていたので、治療法が確立されていない難病で、進行を遅らせる薬を飲むしかないことも事前に知っていました。そのころすでに歩きにくさがあった私は、車いすが主な移動手段になっていました。
――その後、どのようなことを考えましたか?
まさこ どう生きていけばいいのか、わかりませんでした。ALSは本当にしんどい病気で、ぐっすり眠ることもできないんです。体がこわばって、寝ている姿勢が安定せず目が覚めてしまいます。続けて眠れるのは1時間ぐらい、こまぎれでどうにか寝たり起きたりの状態で、睡眠時間はトータルで4時間ほど。睡眠不足でネガティブになるのも当たり前に思えます。
ALSは「体が少しずつ、自分のものではなくなっていく」ような感覚をもつ病気です。今日できていたことが、明日できなくなっているかもしれないんです。眠れないんだけれど、夜眠ることも恐怖でした。
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「ママなら大丈夫」という長男の言葉に…
――病気と向き合えるようになったきっかけを教えてください。
まさこ 私がずいぶん泣いて、沈んでいたころのある夜、タカラが私のベッドに入ってきて「ママなら大丈夫」、と言ってくれました。その言葉がきっかけになり「泣き疲れて、泣くのに飽きた」「ネガティブでいる時間がもったいない」とも思えるようになりました。
そんなとき、インターネットで調べているなかで「ALSリバーサル」という言葉を知りました。ALSの進行が止まったり、症状が軽くなったりすることを指すそうです。世界では、ほんの少しだけれどそのような回復例があるそうなんです。本当にわずかな症例だと思います。でも「世界のどこかに回復した人がいる」というのは、私の小さい希望になっています。
――ALSは治療法が確立されていない難病とのことですが、まさこさんの現在の通院の様子などを教えてください。
まさこ 週に5日ほどリハビリを行い、通院は月に1回のペースです。医師と相談したうえで私自身でいろいろと選んでいます。ALSの症状や進行には個人差があり、考え方も異なるので、どのような治療をしているかということはそれぞれ異なると思います。
――ALSのほかの患者さんと情報交換などもしていますか?
まさこ とくに同じ病気の方と情報交換はしていません。現在は首から下をほとんど動かすことができず、発声も難しい状態です。妹を中心とした家族や友人、行政のサポートなどを受けながら日々を過ごしています。
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「母として何ができるか?」悩み続けた
――エッセイ&レシピ本を作ろうと考えたときのことを教えてください。
まさこ 2024年の秋、タカラの小学校最後の運動会を応援に行きました。ALSの確定診断から1年4カ月がたっていました。運動会と言ったら「お弁当」が私のイメージです。病気がわかってから「こんな母親でいいのか?」という思いばかりの日々、子どもたちに運動会のお弁当もごはんも作れない、手をつないで歩くこともできない、タカラの運動服の洗濯もできない…。グラウンドを見渡すと車いすの親はおそらく私だけ…。
「母親として何ができるんだろう」「何を残せるんだろう」と悩み続けていましたが、運動会の日をきっかけに、私の味「おいしい=しあわせ」のレシピを残すために本を作ることに思い至りました。もともと、私は食べることと料理をすることが何より大好きで、国外に食を求めて長く旅をした経験も。
「家族においしいごはんを作ってあげたい」というのは、私の生きる力です。母から受け取ってはぐくんできた温かい記憶を、今度は私が次の世代に受け渡したいと思ったんです。
お話・写真提供/はらだまさこさん 取材協力/田中文(Kitchen Paradise) 取材・文・構成/仲村教子(entente)、たまひよONLINE編集部
長男タカラさんの名前は、まさこさんが高校生のころから考えていた「私の宝物」という思いを込めた名前。夫・賢介さんは「僕はまさこさんが病気を克服できると思っている」と言っているそうです。
後編では、まさこさんのレシピの魅力、オリジナルレシピを生み出した経験など、そしてエッセイ&レシピ本ができるまでについて聞きます。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
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はらだまさこさん
PROFILE
1981年愛知県豊橋生まれ。カフェオーナーの夫と結婚後、長男出産を機に家族で日本と海外を行き来する生活を送る。各地で出会った食文化に影響を受け、2018年福岡に喫茶店「Sounds Food Sounds Good」をオープン(現在は休業中)。2021年長女出産前後から足に違和感があり、2023年に筋萎縮性側索硬化症の診断を受ける。子どもたちに自分の味と記憶を残したいと不自由な手でレシピを書き始める。
●この記事は、はらだまさこさんの友人でエッセイの制作にもかかわった田中文さんに協力してもらい、編集したものです。
●記事の内容は2026年年6月の情報で、現在と異なる場合があります。
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『もしもキッチンに立てたなら』
13歳と5歳の子の母であり、難病「筋萎縮性側索硬化症」と診断されたはらだまさこさんが、「子どもたちに母の味を残したい」とつづったエッセイとレシピ。未来への希望を託した愛情あふれるレシピは17品収録されている。はらだまさこ著/1870円(徳間書店)
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