高知県在住の甲原佳緒里さん・君裕さん夫妻の長男、希一(きいち)くん(10歳・小学校5年生)は、小学校3年生のときに、小児がんのひとつで、骨や軟部組織に発生する悪性腫瘍のユーイング肉腫と診断されました。3つの病院での闘病生活などについて、佳緒里さんに聞きました。
全2回のインタビューの前編です。
突然、激しい痛みに苦しみ始める息子。ひょっとして仮病?と疑ったことも
佳緒里さんが10歳年上の君裕さんと出会ったのは20代になったばかりのころ。結婚2年目に、希一くんが生まれました。
「希一の妊娠・出産はとても順調で、乳幼児期も何の心配もなく、すくすくと育ってくれました。
結婚後、私は夫の実家が経営する会社で事務の仕事をしていたので、希一は1歳8カ月で保育園に入園。人見知りをしない活発な性格で、保育園でも小学校でも、たくさんのお友だちと楽しく過ごしていました」(佳緒里さん)
そんな希一くんに異変が現れたのは、小学校3年生に進級する前、2024年2月に入ったころのことでした。
「胸や肩の痛みを訴えるようになったんです。とくに右腕のつけ根あたりを痛がりました。痛みは急に出るようで、顔をしかめ、声を上げるほどの強い痛みが1~3分続くんです。でも、そのあと痛みはすっと引くらしく、熟睡することもできていました。
最初は、『遊んでいるときに腕や肩を使いすぎたのかな?筋肉痛なのかな?』と思っていました。希一は痛みを2週間に1回くらいの間隔で訴え、それがたまたま、習い事のある火曜日と重なっていて、習い事に行くのが嫌で痛いふりをしているのでは・・・と疑ったこともありました」(佳緒里さん)
でも、痛みが起こるたびに希一くんは激しく苦しみます。
「ある日、希一の痛がる様子を見て、これはただの筋肉痛や仮病ではない、と強く感じました。夫と相談し、かかりつけの小児科で診てもらうことに。3月初めのことでした。
あとで希一に聞いてわかったのですが、もっと前から、公園で遊んでいるときに疲れてしまい休むことがよくあるなど、異変があったらしいんです。
また、痛みを感じるようになってからは体を横にすると痛むため、夜、座って寝ている日もあったようでした」(佳緒里さん)
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「様子を見ましょう」が続く。4つ目の病院で「胸膜炎」と診断され、入院に
佳緒里さんは、2022年5月に水耕栽培の野菜工場「NAPPA FACTORY(ナッパファクトリー)」を創業し、農場長を務めています。当時は仕事を軌道に乗せるために、とても忙しく働いている時期でした。
「そのころ夫のほうが時間に融通がきいたため、夫が希一をかかりつけの小児科に連れて行きました。問診と触診による診断は『様子を見ましょう』でした。
でも、胸のあたりを痛がっていたので、心臓の病気だったら怖いと考えて、その日中に、別の病院の循環器内科も受診してもらい、心電図をとりました。異常がなかったため、そこでも『様子を見ましょう』と言われました」(佳緒里さん)
ところがその2週間後、またもや希一くんは同じ場所を激しく痛がり出します。
「夜8時を過ぎていたので、休日夜間診療センターに夫が希一を連れて行きました。私は6歳の娘と家で待機。ここでの診断結果は『太りすぎと姿勢が悪いせいではないか』というものでした。
夫からその話を聞き、私は『絶対に何か別の原因があるはず!』と感じました。
このままでは、いつまでたっても希一の痛みを取り除いてあげられない。大きな病院で詳しい検査をしてもらいたい。その思いは私も夫も同じでした。
翌朝、夫は希一を連れて最初に受診したかかりつけの小児科を再受診。私は『希一が痛がる様子を撮った動画も見てもらって』と、夫に伝えました。
動画を見た先生は、詳しい検査ができる高知医療センターへの紹介状を書いてくれ、その日のうちに受診することになりました」(佳緒里さん)
高知医療センターではすぐにX線を撮影。胸膜に水(胸水)がたまっていることがわかりました。2024年4月末のことです。
「胸膜炎との診断で、希一はそのまま入院に。入院期間は2週間くらいになるとのことでした。やっと原因の一端がわかってほっとしたけれど、『胸水がたまった原因は水を抜いたあと、CT検査をしないとわからない』と医師から言われました。
また、『今まで苦しかったでしょう』とも言われて、もっと早くに検査をしてもらえるように行動すべきだったと、とても悔やみました。
しかも、休日夜間診療センターで姿勢を注意されたので、本を買って体操について調べ、希一にその体操をさせていました。希一は文句も言わずにやっていましたが、やらなくてもいいことをさせてしまった、痛い思いをさせたのではないだろうか・・・と、自分のことを責めました。
感染症の予防対策のため保護者は病院を出たり入ったりできず、入院した日から5日間は、病院に連れて行った夫がそのまま付き添うことになりました。私は家で、胸水を抜いたあとの検査結果を待つしかありませんでした」(佳緒里さん)
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電話口で泣いている夫からの言葉は、「腫瘍が見つかった。100%悪性」
希一くんは入院した日に胸水を抜き、胸部CT検査を実施します。付き添っていた君裕さんは結果を聞き、その日の消灯後、希一くんが寝てから、佳緒里さんに電話しました。
「夫は電話口で泣きながら、『腫瘍が見つかった…』って言うんです。
私はその言葉の意味が理解できず、『腫瘍って?どういうこと?』と聞き返しました。『腫瘍って、がん?』のように連想しながら、一呼吸おいたあと、良性の腫瘍もあることを思い出し、『良性の可能性もあるよね?』と尋ねました。
でも、夫から返ってきた言葉は、『水がたまっていたということは100%悪性だろうと、先生が言っていた』というもの。
電話越しに聞こえる夫の言葉が頭に入ってこず、スマホを持ったまま立ちつくしてしまいました。
私はとてもあせった表情をしていたのでしょう。娘が何度も『何があったの?』と聞いてきたことを覚えています。
娘を不安にさせてはいけない。その思いから『なんでもない。大丈夫だよ』と何度も何度も話しかけました。
そのときの私は悪性の腫瘍・小児がんには怖いイメージしかなく、希一が死んでしまうのではないかという恐怖で、全身の血の気が引いていました。その恐怖心を娘に悟られないように、必死で平気なふりをしていたんです」(佳緒里さん)
その後、正式な診断名と治療についての説明を聞きました。
「ゴールデンウイークがあったので診断が遅くなると聞き、怖くて怖くて・・・。診断が下りないと治療が始まらないから、お願いです、急いでくださいって言ったのは覚えています。でも、正式な診断名などを聞いたのがいつだったか、はっきりとは覚えていません。
夫と一緒に医師の説明を聞いたのは確かです。希一が患っているのは、骨や軟部組織にできる『ユーイング肉腫』という小児がんで、生存率は50%という説明でした。
それを聞いたとき、私の頭にあったのは『とにかく希一に死んでほしくない。そのためには何でもする』ということだけでした」(佳緒里さん)
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長男に病気と治療のことを説明。家族みんなで支えていくと約束する
希一くんは高知医療センターで抗がん剤治療を行い、その後、東京の成育医療研究センターで手術を受け、続けて兵庫こども病院に入院して神戸陽子線センターで陽子線治療を受け、再度、高知医療センターで抗がん剤治療をすることが決まりました。
「3つの病院の先生方は常に情報を共有して、連携して治療にあたってくださるとのこと。そのため、治療ごとに転院することへの不安はありませんでした。
希一は小学校3年生になったばかりでしたが、これから始まる治療のこと、病気のことを、希一が理解できるように話しました。家族みんなで希一を支えていく、一緒に病気と闘うとも話しました」(佳緒里さん)
希一くんの病気が判明してから、佳緒里さんは毎日、希一くんの写真を撮ることにしました。
「『希一は絶対、元気になるに決まってる!』という強い思いを、私たち家族はもっていました。でもその一方で、万が一のことも頭から離れません。
だから1日1日を大切にしよう、希一のすべてを記録しておこうと考え、毎日インスタント写真を撮ってコメントをつけ、病室に飾ったんです。
希一はとても明るい性格なので、病気がわかってからも、いつも笑顔でいてくれました。
でも寂しがり屋でもあるので、私か夫が常に付き添い、希一を1人にさせないようにしました。とくに夜は寂しくなるようなので、可能なかぎり希一のベッドの横にあるソファで寝るようにしていました」(佳緒里さん)
抗がん剤治療が始まると希一くんは口内炎ができ、好きなものを食べられないばかりか、飲み物を飲み込むのもつらい状態に。
「少しでも痛みがやわらぐように、保冷剤をたくさん用意して頬のあたりを冷やしたり、病院内のコンビニで、希一が食べられそうなものをいろいろ買い込みました。
とてもつらい治療だったはずですが、希一は頑張って乗り越えてくれ、そして、笑顔も見せてくれて…。希一は本当にすごい!と思いました」(佳緒里さん)
高知医療センターでの約4カ月の抗がん剤治療を終え、8月末に退院。自宅で1泊過ごした後、成育医療研究センターに転院し、9月末に手術を受けることに。それは12時間にも及ぶ大手術でした。
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【西内律雄先生より】ユーイング肉腫は日本で年間30例程度の希少がん。局所の痛みと腫れが現れることが多いです
ユーイング肉腫は骨原発悪性腫瘍で、小児期から若年成人期に多い腫瘍です。男性に多く、日本での発症頻度は年間30例ほどとされる希少がんです。肋骨を含む胸壁は、 発生部位としては下肢骨、骨盤骨に次いで、3番目になります。初発症状としては、局所の痛みと腫れであることが多く、希一くんにも該当します。
治療としては4~5種類の抗がん剤からなる強力な多剤併用化学療法と、局所療法として放射線治療と手術を組み合わせた集学的治療を行います。局所療法は難度が高いため、国立成育医療研究センターでの手術を初期から相談・計画して治療を進めました。
お話・写真提供/甲原佳緒里さん 医療監修/西内律雄先生 取材協力/高知医療センター、国立成育医療研究センター、兵庫県立こども病院 取材・文/東裕美 構成・編集/仲村教子(entente)、たまひよONLINE編集部
希一くんの小児がんは、「ただの筋肉痛や太りすぎが原因のわけがない!」と感じた佳緒里さんが、行動を起こしたことで診断につながりました。
つらい抗がん剤治療を乗り越えたあとには、難しい手術と陽子線治療が控えていて、希一くんの闘病と、それを支える佳緒里さん夫婦の付き添い生活はまだまだ続きます。
インタビューの後編は、東京と兵庫の病院での治療と、その後の希一くんについてです。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
※病院の正式名称は、高知県・高知市病院企業団立高知医療センター、国立成育医療研究センター、兵庫県立こども病院、兵庫県立粒子線医療センター附属神戸陽子線センターです。
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甲原佳緒里さん(かんばらかおり)
PROFILE
高知県生まれ、高知県育ち。美容師免許を取得後、アイリストに。22歳で結婚、24歳で長男を、26歳で長女を出産。夫の両親が経営する会社で事務職を務めた後、美容院勤務。2022年に野菜工場「NAPPA FACTORY」を立ち上げ、農場長に。
西内律雄先生(にしうちりつお)
PROFILE
高知医療センター 副院長兼小児科。高知県出身。岡山大学、大阪母子医療センターで小児がんの研修・診療・研究を行ったあと、高知に戻り、現在の病院で診療を行う。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2026年6月の情報であり、現在と異なる場合があります。
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