甲原希一(きいち)くん(10歳・小学校5年生)は、8歳のとき、右胸あたりに激しい痛みが現れるようになり、さまざまな病院を受診した末に、小児がんのひとつである「ユーイング肉腫」と診断されました。
母親の佳緒里さんに聞いた全2回のインタビューの後編は、地元の病院での抗がん剤治療のあと、東京と兵庫の病院での治療などについてです。
手術のため東京へ。がん細胞をすべて取り除くのは難しい状況と説明を受ける
高知医療センターで約4カ月間、抗がん剤治療を行った希一くん。腫瘍を取り除く手術を受けるために、2024年8月末に、東京の成育医療研究センターに転院しました。
「始めは家族4人で東京へ行き、主人と娘はいったん高知へ戻りました。その後、手術の日までの1カ月は私が付き添い、いろいろな検査や放射線治療を受ける間、希一を支えました。
成育医療研究センターには、チャイルド・ライフ・スペシャリスト(CLS)の方がいたので、息子への説明は、その方にお願いしました。CLSは手術の日も付き添ってくれ、さらに手術後はPICUにも顔を出してくれて、不安を取り除いてくれました」(佳緒里さん)
手術の説明は佳緒里さん1人で聞きました。
「9月末に腫瘍を取り除く手術をすることになりました。
肋骨を2本切り取り、がん細胞を取り除いたあと、背中の筋肉を肋骨部分に移植するという手術です。胸膜に水がたまったことでがん細胞が広がっていると考えられるので、すべて取り除くのは難しい可能性があり、手術は10時間ほどかかる、といった説明でした。1人で聞くにはとても怖い内容でした」(佳緒里さん)
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手術翌日にゲームをする息子の姿を見て「この子は絶対元気になる!」と
手術当日、手術室に歩いて向かう希一くんの後ろ姿を、佳緒里さんと君裕さんは見守りました。
「手術の前日、夫が成育医療研究センターに来て、それから5日間は夫婦で希一に付き添いました。その間、娘は夫の実家で預かってもらいました。
希一は不安で心細くてたまらなかったと思うんですが、手術室に向かうとき希一は笑顔を見せてくれました。なんて強い子なんだろう、希一なら絶対に大丈夫、頑張ってきて!と、心の中で声をかけ続け、私と夫はただひたすら、希一が無事に戻ってくるのを待ちました」(佳緒里さん)
手術開始から6、7時間ほどたったころ、外科の先生が説明にやってきたそうです。
「『残念ながら・・・』という言葉から話が始まったときは、何かとてもよくないことが起こったと思って、泣きそうになりました。でも、そのあとの説明を聞くと、『胸膜に水がたまっていたときにがん細胞がべちゃっと広がっていたので、すべてを取り除くことはできなかった』と。
とても残念なことではありますが、手術前にも説明を受けていたことなので、冷静に受け止めることができました。
ただ、予定の10時間がたっても手術が終わる気配がなく、心配で心配で、いてもたってもいられなくなり…。そして希一が手術室から出てきたのはさらにその2時間後。12時間もの大手術となりましたが、希一は乗り越え、ちゃんと私たちの元に帰ってきてくれました」(佳緒里さん)
希一くんは術後5日間、PICUで過ごしました。
「手術前は、夜は希一の病室で一緒に寝ていましたが、PICUは夜の付き添いはできないので、私と夫は、家族のための滞在施設『ひつじさんのおうち』を利用しました。
手術の翌日希一に会いに行くと、なんともうゲームをしていたんです!そして私たちの顔を見るとニッコリ。希一の生命力の強さを感じ、必ず元気になると感じました。
成育医療研究センターでの入院は約2カ月間に及びましたが、手術後は夫が付き添い、私は高知に戻りました」(佳緒里さん)
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陽子線治療を受けて眠り続ける長男。不安が強くなり、初めて精神的に追い詰められた
希一くんは2024年11月初旬に成育医療研究センターを退院。神戸陽子線センターで陽子線治療を受けるために、兵庫こども病院へ向かいます。
陽子線治療とは、陽子という水素の原子核によって得られる高エネルギー粒子を使った放射線治療です。
「兵庫に向かう前に大阪に立ち寄り、キャンプをしました。希一は高知医療センターに入院していたときから、『退院したらやりたいことリスト』をノートにまとめていました。目標があったほうが頑張れるんじゃないかと思ったからです。
わんこそばを食べる、温泉に行く、釣りをする、サバゲーをやる、などいろいろなことが挙げられた中に、キャンプをする、というものもありました。
次の治療も頑張るために、希一の願いをひとつかなえたい、と考えたんです。大阪の友だちに加え、高知で出会って現在は京都在住の友だちも集まってくれ、晩秋でしたが、4家族でワイワイとにぎやかなキャンプになりました。希一のとってもうれしそうな顔を見られて、私も夫もとても幸せでした」(佳緒里さん)
兵庫での陽子線の治療中、希一くんに付き添っていた佳緒里さんは、それまで以上に目が離せなかったと言います。
「平日は毎日陽子線を照射し、合計35回治療を行いました。陽子線治療を受けると希一はほぼ眠った状態になるため、このまま目を覚まさないのではないかと怖くなり、希一の寝顔から目が離せない日々。
病室は大部屋でしたが、それぞれカーテンを閉め切って付き添っていたため、ほかの保護者の人たちと話をすることはめったにありません。
それまでは希一の回復を強く信じていて大丈夫だったのに、兵庫の病院で初めて自分の心の状態が不安定になっていることを感じました。それまでは病気と闘いながらも明るさを失わない希一の笑顔に救われていたんだと思います。
土日は陽子線治療がなく、希一は外泊ができるので、一緒にドナルド・マクドナルド・ハウスへ。
ドナルド・マクドナルド・ハウスは、病気の子どもとその家族を支える滞在施設です。希一がごはんを食べる姿や遊ぶ姿を見て、なんとか気持ちを立て直していました。
2025年のお正月は、家族そろってドナルド・マクドナルド・ハウスで迎えました。もともと料理をするのが好きな希一は野菜を切るなどのお手伝いをしてくれたり、妹とふざけあったりして、家にいるような時間を過ごすことができました」(佳緒里さん)
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退院後、慢性骨髄単球性白血病の一歩手前であることが判明!!妹が骨髄を提供することに
陽子線治療もやり抜いた希一くんは2025年1月中旬に兵庫こども病院を退院。高知医療センターに再入院して、最後の抗がん剤治療を行いました。
「抗がん剤治療は予定どおりに進み、3月下旬に退院。でも、その後の定期的な骨髄検査の結果、慢性骨髄単球性白血病になっていることがわかったんです。約10カ月の治療が終わり、ようやく家族一緒にこれまでどおりの生活が送れると喜んでいたのに・・・。7月末に再入院して、輸血を受けながら、骨髄移植の道を探すことになってしまいました。
希一がユーイング肉腫と診断されてから、この病気のことをたくさん調べ、治療の影響などで白血病を発症するリスクがあることを理解していました。
でも、慢性骨髄単球性白血病と聞いたときのショックはとても大きく…。どうして希一は、いつまでも病気に苦しめられなければいけないの?と、かわいそうでなりませんでした」(佳緒里さん)
佳緒里さん、君裕さん、そして、希一くんの妹、采花(ことか)ちゃんの白血球のタイプを調べたところ、采花ちゃんと希一くんが一致していることが判明します。
「当時、采花は8歳になったばかり。そんな小さな子に骨髄移植の手術を受けさせるのは、親としてつらいものがありました。でも、娘は『お兄ちゃんのために頑張るっ!』と、とても明るく応じてくれて。
采花は手術当日もとても落ち着いていて、手術前に希一と遊び、ハイタッチをして手術室へ。そして手術後、麻酔から目が覚めると開口一番『おなかがすいた~』。うちの子どもたちは本当にすごい!と思いました。
希一が退院したのは10月末のこと。退院後も8カ月間は月に1度、7日間連続で外来で抗がん剤治療を受けます。また、3カ月に1回CTとMRIの検査を受け、骨髄検査も定期的に行い、経過を観察することになっています。
ユーイング肉腫のほうは、骨を切り取った部分がほかの部分より弱いので、そこに強い力が加わらないように注意する必要がありますが、日常生活に支障が出ることはほぼありません」(佳緒里さん)
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レモネードスタンドで献血を呼びかけ、AB型の献血者が驚くほど増える
アメリカから世界に広がった、小児がんを支援するチャリティ活動の「レモネードスタンドの日」は、日本では6月16日とされています。がんと闘うアメリカの少女が、自宅の庭で販売したレモネードの売り上げを病院へ寄付したのが始まり。今年も6月をメインに、日本各地でレモネードスタンドが開催され、集まった寄付は小児がん支援に活用されています。
希一くんが小児がんと診断されてから、佳緒里さんはレモネードスタンドにも関心をもっていました。
「治療中、希一にはたくさんの輸血が必要でした。そのとき、『血液がたりていません』と、献血を呼びかける看板を 目にしたことを思い出しました。希一はAB型で、AB型の血液はとくにたりていないと。
希一のように輸血が必要な人たちのために何かできないかと考えていたところ、希一が最初の抗がん剤治療で高知医療センターに入院していた2024年11月、病気がきっかけでつながった仲間たちがレモネードスタンドを行い、献血も呼びかけてくれました。
このときは希一が入院中のため、私はレモネードスタンドに参加できなかったのですが、大変ありがたいことに、そのころAB型の献血者がびっくりするくらい増えたと聞きました」(佳緒里さん)
佳緒里さんたちは、今年5月16日に高知市で行われた「子ども食堂フェスティバル2026」で、レモネードスタンドを出店しました。
「高知で小児がんを発症し、治療を乗り越えて元気になった子どもたちとその家族が中心となって、レモネードを販売しました。もちろん希一も参加。利益や当日いただいた寄付金は、すべて高知医療センターに寄付します。
小児がんは特別な子どもがなる病気ではありません。いつ、だれがなってもおかしくないし、元気に成長していても安心できるものではありません。他人事ではないことを多くの人に知ってもらいたい、そんな思いで、これからも活動していきたいと考えています」(佳緒里さん)
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【西内律雄先生より】高度な治療が必要になる場合は、都市部にある小児がん拠点病院と連携して進めます
現在の希一くんは、毎月1週間、外来で化学療法を行っています。注射のあとも休まず学校に通学しています。普通の子どもと同じように、元気な生活を送っています。
小児がんは希少がんです。人口の少ない地方でも、都市部に住む子どもと同じレベルの治療が受けられるよう、地方の病院は、都市部にある小児がん拠点病院と連携して治療を行うようにしています。
お話・写真提供/甲原佳緒里さん 医療監修/西内律雄先生 取材協力/国立成育医療研究センター、兵庫県立こども病院 取材・文/東裕美、構成・編集/仲村教子(entente)たまひよONLINE編集部
約10カ月のユーイング肉腫のつらい治療を乗り越え、やっと元の生活に戻れると思ったとたん、慢性骨髄単球性白血病という深刻な状態に陥ってしまった希一くん。でも、妹の采花ちゃんからの骨髄提供によってそれも克服でき、今は毎日元気に走り回っているそう。
「家族全員で病気に立ち向かいました。どんな困難も家族が力を合わせれば乗り越えられる。そう信じています」と佳緒里さんは話します。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
※病院の正式名称は、高知県・高知市病院企業団立高知医療センター、国立成育医療研究センター、兵庫県立こども病院、兵庫県立粒子線医療センター附属神戸陽子線センターです。
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甲原佳緒里さん(かんばらかおり)
PROFILE
高知県生まれ、高知県育ち。美容師免許を取得後、アイリストに。22歳で結婚、24歳で長男を、26歳で長女を出産。夫の両親が経営する会社で事務職を務めた後、美容院勤務。2022年に野菜工場「NAPPA FACTORY」を立ち上げ、農場長に。
西内律雄先生(にしうちりつお)
PROFILE
高知医療センター 副院長兼小児科。高知県出身。岡山大学、大阪母子医療センターで小児がんの研修・診療・研究を行ったあと、高知に戻り、現在の病院で診療を行う。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2026年6月の情報であり、現在と異なる場合があります。
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