2022年にプロバスケットボールの渡邊雄太選手と結婚した、元フジテレビアナウンサーの久慈暁子さん。結婚後すぐに夫がいるアメリカでの生活をスタートしました。多忙だったアナウンサー時代を経て、アメリカでの新生活をどんなふうに過ごしていたのでしょうか? また初めての妊娠がわかったとき、どんな気持ちだったのでしょう。全2回インタビューの前編です。
“声で伝えることの魅力”に気づき、モデルからアナウンサーへ
――アナウンサーを目指したきっかけを教えてください。
久慈さん(以下敬称略) アナウンサーになる前にモデルとして活動をしていたんです。そのときに、スペインリーグのサッカー番組を担当することになりました。初めてナレーションに挑戦することになり、緊張しましたがまわりの方にほめて、いただいて…。そこで声で表現する仕事の魅力、おもしろさに気づき、アナウンサーを目指すようになりました。
――お母さんもアナウンサーだったと聞きました。
久慈 そうなんです。母もアナウンサーだったので私にとっては身近であり、あこがれの職業でもありました。
――アナウンサー時代を振り返り、どんなことが大変でしたか?
久慈 入社してすぐは生活のリズムがつかめず大変でした。『めざましテレビ』を担当していた日は朝3時ごろに起き、週に1回担当していた、さらにOAが早い『めざましテレビアクア』の日は、深夜1時台に起きていました。日によってはバラエティー番組を夜に4時間収録し、その翌朝に生放送へ出演することもありました。常に時差ボケのような状態でした。
――逆に楽しかったことはどんなことでしょうか?
久慈 アナウンス部の人間関係がとてもよかったことです。先輩後輩関係なく仲がよかったので、プライベートでも休みを合わせて旅行や遊びに行くこともありました。
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結婚後、すぐにアメリカでの新生活
――プロバスケットボールの渡邊雄太選手と結婚したのは2022年5月のこと。出会いのきっかけと渡邊選手の印象を聞かせてください。
久慈 番組の取材で知り合ったのがきっかけです。最初に会ったときは「こんなに大きな人がいるんだ」と驚きました。身長差は約40センチです。その後、共通の知人を通じて連絡先を交換し、やり取りが始まりました。そこから一度連絡が途絶え、1〜2年ほどあいたあとに再び連絡を取るようになりました。
――交際から結婚までの流れを教えてください。
久慈 当時カナダに住んでいた夫が、東京オリンピックで日本代表としてプレーするために帰国したんです。 そのときに久しぶりに会い、そこから交際に発展し、翌年の2022年に結婚しました。その後、ニューヨークのチームに移籍が決まり渡米しました。
――アメリカでの生活はどうでしたか?
久慈 ニューヨークのブルックリンでの生活がスタートしましたが、海外での生活は初めてでした。最初は夫が一緒でないと怖くて出かけられませんでした。そこからなんとか近所のコーヒーショップに行けるようになり、次はスーパーと、1人で行動できる範囲を広げていきました。スーパーに初めて出かけた日のことはよく覚えています。緊張しっぱなしでしたが、一度経験するとそこから平気になり、マンハッタンにも1人でよく出かけました。
――アメリカでは何度か引っ越しも経験されたそうです。
久慈 ニューヨークに半年ほど住んだあと、アリゾナに行き、次にメンフィスと、約2年の間に3回引っ越しをしました。夫はチームが変わることも多かったので、半年ごとに荷物をまとめるような生活…。最初は大変でしたが、だんだん荷造りも早くなりました(笑)
――アスリートの妻として、食生活はどんなことを意識していましたか?
久慈 シーズン中は食事管理をしてくれるシェフがいるので、基本的にはおまかせです。結婚してすぐのころ、「スポーツ栄養プランナー」の資格を取得したので、オフのときなどは魚や肉などをメインに高たんぱくを意識した食事作りをしていました。
アメリカは日本食を扱ったスーパーが多いので助かりました。香川出身の夫は、試合前には必ずうどんを食べていました。アメリカで1番うどんを消費した家だと思います(笑)。2024年に夫が千葉ジェッツに移籍して日本に戻ってきましたが、今、わが家では常に低糖質で高たんぱくのかまぼこを常備しています。そのまま食べてもいいですし、うどんのトッピングにしても、サラダに加えてもおいしいので、とても便利なんです。
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妊娠がわかったときは、うれしいと同時に不思議な気持ちに
――久慈さんは岩手県の出身ですね。
久慈 はい、岩手県の出身で私が高校生のときに東日本大震災を経験しています。3月11日は自宅にいましたが、家具が倒れてこないように必死におさえた記憶が鮮明にあります。あのときの記憶は一生忘れないですし、風化させないことが大事だと思っています。
――家族をもつようになって、防災に関する意識は変わりましたか?
久慈 最近も地震が多いので怖いなと思います。やはり備えあれば憂いなし、ということでお水や日持ちのする食品は備蓄しています。出産してからも移動時はおむつやミルクなど多めに持参しています。
――2026年の4月に赤ちゃんが誕生。妊娠がわかったときのことを教えてください。
久慈 なんとなく体調の変化を感じていたので、市販の妊娠検査薬を使ってみました。最初は「もしかして…?」というくらいで、はっきりとはわからなかったんですが、「妊娠しているかもしれない」と思って、夫に伝えました。
夫はすごく喜んでくれたんですが、「病院でちゃんと確認できるまでは、まだ安心できないね」と、意外と冷静でした(笑)
――病院で確定してからはどんなふうに報告をしたのでしょうか?
久慈 夫の練習が終わり、病院に迎えに来てもらった車の中で報告したんですが、私が最初から動画を回していたので「そうだと思った」と笑っていました。だからサプライズになっていませんでした。
とってもうれしかったんですが、実感がわかないという言葉がしっくりくるかもしれません。しばらく不思議な感覚でした。
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“つわり”ほぼなし、それでも慎重に過ごしたマタニティライフ
――妊娠生活はいかがでしたか?
久慈 それが妊娠初期に一度、貧血で倒れた経験はありますが、つわりで吐いたり、食事がとれなかったりということはほとんどありませんでした。後期まで比較的、順調でした。でも30週くらいになって突然「さかごです」と言われたんです。それまで何の問題もなかったので、本当に驚きました。医療機関でおなかの上から赤ちゃんの向きを変える処置を受けたりもしたのですが、結局出産まで戻りませんでした。
――妊娠中、ジェンダーリビールはしましたか?
久慈 はい。でも、そんな大がかりな感じではなく、コンビニに売っているロールケーキを使いました。中のクリームを一度出して、フルーツを入れてクリームを戻し、夫に食べてもらいました。いちごが出てきたら女の子、というサプライズでした。
――妊娠中も積極的にお仕事をされましたか?
久慈 仕事をしたい気持ちはありましたが、やっぱり1人目なので慎重でした。でも振り返るとほとんどつわりがなかったので、もう少し仕事ができたように思います。でも、こればっかりはわかりませんね。
――食生活はどんなことに気をつけていましたか?
久慈 妊娠中はとにかく体重を増やさないように意識していました。野菜を多く食べたいけれど油は使いたくなかったので、蒸し野菜ばかり食べていました。
――実家の岩手県奥州市で出産されたのでしょうか?
久慈 夫がシーズン中だったこともあり、赤ちゃんが生まれたらすぐに会えるように、東京都内の病院で出産することにしました。さかごが直らなかったので、最終的には帝王切開になりました。夫がオフの日だったので、誕生の瞬間に立ち会うことができました。
――出産当日のことも教えてください。
久慈 帝王切開の手術は、部分麻酔だったので意識はありました。私はとても緊張していたのですが、先生方や助産師さんが本当にやさしくて。「だんなさん、手を握ってください」と言われて、夫に手を握ってもらいながら出産しました。
手術が始まってから娘が生まれるまで、本当にあっという間でした。6分ほどで元気な産声が聞こえて、「こんなに早いんだ」とびっくり。「本当におなかの中に赤ちゃんがいたんだ」と、不思議な気持ちでいっぱいでした。
お話・写真提供/久慈暁子さん 取材・文/安田ナナ 構成・編集/仲村教子(entente)、たまひよONLINE編集部
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「あっという間」の体感6分で生まれた娘。その直後に訪れた“特別な瞬間”とは——。
後編では、初めての抱っこと、新生児育児で直面した不安のリアルについて聞きます。
久慈暁子さん(くじあきこ)
PROFILE
フリーアナウンサー。1994年7月生。岩手県出身。2014年3月に『旭化成グループキャンペーンモデル』に選ばれ、同年9月からファッション雑誌『non-no』の専属モデルへ。大学を卒業後はフジテレビに入社し、同局の新人アナウンサーが冠番組を担当する「○○パン」シリーズの10代目に就任し、『クジパン』と呼ばれる。22年4月、フジテレビを退社し、同年5月にプロバスケットボール選手の渡邊雄太と結婚。2026年4月に第1子を出産。
●記事の内容は2026年7月の情報で、現在と異なる場合があります。
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